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2018年3月19日月曜日

安崎会長からの便り~癌との平和共存生活 日々是好日

安崎会長より、癌との平和共存生活を楽しんでいるとの嬉しい便りが届きました。ご同意を得たのでシェア致します。
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昨年12月11日に生前葬みたいな安崎 暁 感謝の会を催してから3か月以上が経ちました。
病院に通っての延命治療をやめましたので、医者の言う通り、私は昨年の内にこの世とはオサラバするものと覚悟していました。まさか新年を迎え今も生きているとは自分の想像外のことでした。
家内のケア、食事・免疫療法にある程度従い、自分としてもストレスゼロの癌との平和共存生活を楽しんでいるおかげかも知れません。胆汁をパイプで体外に排出し、痛みは薬で抑えながらの生活ですからまだ先のことは分かりませんが、食欲がある間は日々是好日と毎日を過ごせそうな気がしています。
食欲と言えば、81年の私の生涯で忘れられない食べ物の有難さの記憶が三件あります。
その一、1945年戦火の迫る東京から家族と別れて、学校ごと新潟へ集団疎開したその日に汽車の中で食べたこの世の別れのような母親手作りの“ラスク”の美味しかったこと。お互いに生きて再会しようという望みが詰まっていたのだろう。
その二、1984年胃と十二指腸潰瘍手術で胃の三分の二を摘出した時、脂肪太りのため手術が難しく時間がかかった。、全身麻酔からさめて、初めて口に入れた白湯の格別のうまさ。どんなご馳走も叶わない。
その三、1971年、冬のソ連出張時、野菜不足で慢性ビタミン不足。しおれた人参、ジャガイモ、玉ねぎの他は何もない、ないないづくしのモスクワ事務所の夕食時、アルメニアへの出張から帰ってきた商社駐在員が持ち込んできてくれたアルメニア大根1個、これを大根おろしにして皆で食べた。新鮮なビタミンの味。
世界中のご馳走を食べてきただが、この三つはどんなご馳走より忘れられない私のグルメの記憶である。
アルメニアの大根の話を当時の商社の友人と感謝の会で語り合った。
どこをどう都合したか、彼からアルメニアの大根ですよ、と私の自宅にこれが届けられた。45年前のビタミン補給の記憶とシベリア開発のプロジェクトに携わった商社の友人達との懐の深い付き合いを掛け合わせて大根おろしを美味しく味わった。
彼らのことを自他共に商社在籍の“コマチスト”と称していた。彼らのおかげでコマツの壮大なシベリア開発の事業が開けていった。
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最近收到安崎会长的来函,得知他与癌和平共处、愉快地生活着。征得他的同意,特分享如下。
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自去年12月11日我举办类似于生前葬的安崎暁感謝会之后,3个多月过去了。
那时因决定不去医院接受延命治疗,医生说我活不到来年,对此我已经做好了精神准备。然而我却不仅活过了新年、并且现在还活着,实在出乎自己的预料。
我在一定程度上遵从妻子的饮食、免疫疗法,也或许是自己能零压力地与癌和平共处、愉快地生活也见了效。现在胆汁通过胆汁管排出体外,疼痛通过止疼药抑制,虽说这样的日子前景难料,但尚有食欲的日子给了我“日日是好日”的感受。
提起食欲两字,我不由想起了在我81年的人生之中难忘的三宗可贵记忆。
其一是在1945年从战火迫近的东京和家人分开,随学校集体疏散去新潟的那天在火车上吃的母亲亲手做的有点生离死别味道的脆甜饼干,里面或许是饱含了母亲互相能活着再见的切切心愿,好吃极了。
其二是1984年在胃及十二指肠溃疡手术中被摘除了三分之二的胃之时,脂肪过多令手术时间延长。当我从全身麻醉中醒来,那入口的第一口白开水的特殊美味,令我感觉胜过世间所有的美味佳肴。
其三是1971年,冬季出差苏联之时,由于蔬菜不足导致了维生素的慢性不足。除了枯萎的胡萝卜、土豆和洋葱,几乎没有其他东西可吃。在这山穷水尽的莫斯科事务所,有天晚饭时,大家把从亚美尼亚出差归来的商社驻在员带回的1根亚美尼亚萝卜擦成萝卜泥,美美地享用了一餐。那新鲜的维生素的味道至今还口留余香。
虽然尝遍了全世界的美味佳肴,然而这三种美食却胜过任何美味,成了我一生难以忘怀、回味无穷的美食记忆。
在去年的感谢会上,我和当时的商社朋友还谈起了亚美尼亚萝卜的故事。
没想到那之后,不知道他费了什么周折竟将亚美尼亚的萝卜送到了我家。我将45年前补充维生素的记忆以及与参与西伯利亚开发项目的商社朋友们之间的深交记忆参合在一起,再次品尝了美味的萝卜泥。
他们都被称为、也自称为身在商社的“小松主义者”。承蒙他们的努力,小松壮大的西伯利亚开拓事业得以成功展开。
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2016年8月8日月曜日

心配な割り勘奨励 — マイナス効果を避けるのには?

心配な割り勘奨励


7月30日の産経新聞で表記のソウルからというコラムを読んだ。面白いが違う見方もあると思った。
アメリカ大統領候補トランプ氏は異なる意見を罵倒するが、私は建設的対話のつもりで自分の感想を記します。
コラムは公職者に対する接待は食事約3千円、贈答品約5千円まで。それ以上は法的に処罰されるという韓国の接待禁止法がこの秋から実施されることに関する論評だ。一部を引用すると、「・・・韓国は接待社会である。ただメシただ酒、付け届けが日常化しているだけに大変だ。食事も贈り物もこの金額以下では現実的には無理だから、実質的には、接待全面禁止みたいなものだ。・・・韓国人にとっては“文化大革命”だが、これじゃ韓国人は元気が出ないのではないかと人ごとながら心配だ。・・・」という内容。
私の感想、
1.アメリカではかなり以前から、日本でもバブル崩壊のころから“ノーパンシャブシャブ”批判として同様に上限の相場が設けられた。現在の中国でも腐敗防止による内部告発・取り締まりが厳しい。
これはやむを得ないが、マイナスは官民の意見交換、情報伝達がなくなり、減少することと関連業界が不景気になること。
日本では中央・地方の官官接待も多かったから、需要が激減した。「上に政策あれば下に対策あり」の中国では聞くところによれば、表向きは全面的な禁止に近いが、専用の自家ビル内のレストランに内部告発なしの工夫をこらした少人数の産官接待があるという。日本でも自宅への招待は一部にあるだろう。
割り勘では呼ばれた方も行く気がしないだろうが、禁止上限以下の産官交流は堂々とやればよい。高い料金のレストランはお金持ち専用、上限の2倍以下の料金で半額の会費制の交流はありえないのか?批判されるのはうるさいから嫌だろうが、韓国人の本音の意見はどうだろう。
2.日本でも最近は5-6千円以下の会費で行ける店が昔より増えた気がする。余分なコストを減らした中流の店が多くなったように思う。企業内の社用族は激減し、飲み会の勘定を自腹を切って払う上役も激減したようだが、高過ぎた店が淘汰され、コスト・パフォーマンスのバランスの良い店が増えるなら普通の人には有難いし、関連業界の景気が悪くなりすぎるのを防ぐ一助にならないだろうか?
接待王国だったとコラムのいう韓国人の意見はどうだろうか?退任した大統領や、せこい知事を叩くあまり必要な官民対話ができなくなるのは一般国民にとっては不幸ではないだろうか?全部割り勘以外の灰色の合法的な道を認める余裕のある国民がいないのだろうか?

-----以下中国語-----

令人堪忧的AA制奖励

7月30日产经新闻“来自汉城”专栏读来有点意思,不过却也引发了我些许不同看法。
美国大总统候选人特朗普针对不同意见,采用的是骂倒对方的方式,我却认为对待世事该用建设性对话方式,本篇感想也遵循这种思维方式而写。
那篇专栏是针对将接待公职人员饮食上限定为约3千日元之内、赠品上限约5千日元、超过则依法处罚这条将于今年秋天开始实施的韩国接待禁止法的评论。引用一部分内容”・・・・・・韩国是个接待社会。白吃白喝、办事送礼已严重到成为家常便饭的程度。今后要将请吃送礼限制在这样的金额以下谈何容易,可说这实际上是接待的全面禁止令了。・・・・・・对于韩国人而然可说一场堪比“文化大革命”的运动即将来临,韩国人会不会因此而一蹶不振呢,实在令人堪忧・・・・・・”。
对此我的有感而发如下:
1.美国自很久以前、日本也在泡沫经济破灭时开始批判风俗招待之类的服务、并设立了同样的上限。
现在在中国,以防腐为目的的内部告发、严格的管制也引人注目。
这些法令措施是没有办法的办法,它们在有效解决问题的同时也已足显其弊端,那便是造成官民之间意见交换和信息传播渠道的消失或减少、以及相关业界的不景气。
看看日本,无论是中央还是地方,曾经活跃的官官接待需求都大幅减少了。在「上有政策下有对策」的中国又如何呢?据说表面上是全面禁止了,但是在自家楼房专用饭馆进行的、下功夫不会被内部告发的少人数产官接待依然存在。
在日本,一部分人在自家设宴招待的事情也是存在的吧。
被邀请参加AA制宴会估计谁也不太愿去,不过我看将会费限制在禁止上限之下,堂堂正正大搞产官交流何尝不可。
贵的饭店用于有钱人参加的餐会,举办其他餐会时,选择费用低于规定上限2倍的饭店,将参加会费减半不就行了吗?不知道韩国人心里是怎么想的呢。
2.在日本,我觉得最近会费5-6千日元以下的饭店也比以前增加了,好像是削减掉不必要成本的中等店增多了的缘故。公司利用族以及自掏腰包支付聚会餐饮费的上司也大幅减少了,不过要是价格过高的饭馆被淘汰、而性价比高的好店增加的话,即使对于普通人而言并无多大意义,但是至少对于防止关联业界景气恶化有点作用吧。
生活在那个专栏称之为接待王国里的韩国人意见如何呢?过度攻击退任的大总统及小气滑头的知事,让必要的官民对话消失,这对于一般国民难道不是坏事吗?
除了全面AA制,难道非白即黑,就没有国民能承认并容许一部分灰色的东西、让其合法存在?

2016年8月1日月曜日

現役を干渉しないは、イコール無関心ではなく、逆です

鉱山機械ビジネスを欧米企業のM&Aにより発展させた経緯を前回のブログで紹介した。
自社内の経営資源を活用すれば、大型の鉱山機械の開発・生産・マーケテイングは十分可能だという、当時の社内各部門のどちらかといえば部分最適の議論を全体最適かつグローバルな見地から他社買収へと誘導し、時間を買うということで納得してもらったのだ。
7月23日の新聞で現在のコマツの経営陣が地下坑内掘りの米企業を3000億円で買収するという記事を見た。世界の資源ビジネスは今不況だが、円高気味でもあり地上と地下の鉱山機械の両方を持つ強み、超大型の品ぞろえも進むという点からリスクがあっても賛同できる決断だと思う。
私自身は現在の経営から身を引き一切の口出しもせず、相談も受けていないが将来の事業の発展のためしぶとく努力してくれるよう期待している。
この日もう一つ面白い記事があった。朝日新聞が財政再建中の夕張市の市長にインタビューした記事だ。鈴木直道さんという2011年から現職の若い市長だ。人口減で増す負担は国も地方も同じ、自分のことと意識すべしという内容だ。
最盛期の1960年12万人いた夕張市の人口は現在8千人。
財政再建中だが若い世代のために投資を集中していくという。
よく読むと地方VS国の政治の苦労がにじみ出ている。
私はハイブリッド経営思想の持主だから、朝日も産経も日経も読んでいるが、社説はともかく朝日新聞も最近は時々良い記事を載せている。
高齢者と若者への政策問題は次回に書きましょう。

-----以下中国語-----

不干涉现役,并不意味着对现役毫无关心,恰好相反

上次的博文介绍了小松通过对欧美企业的并购,矿山机械事业得以发展的经过。
只要活用自己公司既存的经营资源,就完全有可能推行大型矿山机械的开发、生产、营销工作,我们围绕着这个当时对公司内各个部门有利的议题,进而站在对公司整体有利的全球化立场推进讨论,终于在通过并购其他公司、赢取时间上统一了意见。
7月23日的报纸有篇报道称,现在的小松经营阵决定以3000亿日元收购一家美国的地下坑挖掘企业。虽说如今全世界的资源事业景气不佳,然而在日元呈升值趋势的形势下,若地上及地下两方矿山机械皆能备齐,这无疑能增强企业的体制,就算在推进超大型机械的装备方面存在风险,我也认为这是个正确的决断。
自从隐退后,我针对公司的经营是毫不干涉,也不接受相谈,不过还是一如既往守望、期待着,现役的小松人为了事业的持续发展,能齐心协力、坚持不懈。
这天我还读到另一篇报道,那是朝日新闻对正在进行财政再建的夕张市市长的采访报道。该市长名为铃木直道,是一位从2011年上任,至今还在位的年轻市长。
他在访谈中谈及,由人口减少导致的负担增大不仅是国家,同样也是地方的问题,所以也应视为自己既是个人的问题。
夕张市在人口高峰期的1960年有12万人,现在却仅有8千人了。
财政再建中的夕张市将把投资的重点集中于年轻一代。
仔细读来,可以感觉到地方VS国家政治之举步维艰。
主张采用混合型经营模式的我,既读朝日、也读产经和日经,社论姑且不说,近来读朝日新闻,时时会发现内容挺不错的报道。
下次想谈谈我对高龄者及年轻人相关政策问题的看法。

2016年7月1日金曜日

勉強も遊びも人間の成長にはどちらも欠かせない

世界中がいまは英国のEU離脱決定の話題で持ちきりだ。この後EUと英国の交渉、日本の参議院選挙、アメリカの大統領選挙と続く。大きな流れはグローバリズムへの是認と反対、ポピュリズムへの同調と自制のせめぎあいだ。

一市民としては如何ともしがたい。短期的には株価や為替レートが激しく変動するだろう。
誰も将来を見通すことなど困難だ。現役の経営者は大変で、ご苦労様だが老人の私はなるようにしかならないと静観している。
大ニュースのはざまに6月27日の日経新聞で興味深い記事を見つけた。18面の金子元久 法政大学特命教授の「高等教育 日中の差を実感」という寄稿だ。アメリカや中国の大学生の学習時間が日本をはるかに上回ること。勉強しない日本の大学生が多数派の日本の国や社会、はたまた、本人の将来はどうなるのかという論点だ。面白いから読み直してみることをお薦めする。
4月に中国の友人から“今の中国では中高生が良い大学に入るため朝から晩まで学校や塾、自宅で異常なくらい長時間勉強している。遊ぶ時間が全くない。よい大学に入らなければ、党や企業の幹部になれないからだが、遊ぶ楽しさを知らないこんな子供たちが大学生、
大人になり国や国民を指導できるのか”という心配を聞かされた。
60年前のことだが、私が中高生のころ先生にそんなに勉強しなくてどうするのだと叱られていた。テレビもない時代、放課後は遊んでばかり、早寝早起き、ラジオを聴きながら夜8時半には寝床に入る毎日だった。大学ではよく遊び、よく学んだ。
英国のEU離脱により世界が良い方向へ変化か、悪い方向へ変化していくのかというのがなかなか難しいが、勉強も遊びも人間の成長にどちらも欠かせないとは自信を持って言える。



-----以下中国語-----

在人的成长中,学习和玩耍,两者都至关紧要,不可或缺

这些日子,英国脱欧成了全世界的热门话题。接下来是欧盟和英国之间的交涉、日本的参议院选举、美国的大总统选举,接二连三也将看点不断。一股巨大的潮流已然掀起,是认同还是反对全球化,是与民粹主义同调还是自制,这场角逐也已展开。

作为一介市民能如何呢,这无疑是一道难解之题。短期看来,估计股票和汇率将激烈变动吧。但是将来的事情,则是谁也难以洞悉了。能理解尚在其位的经营者们处境之艰难,作为老人的我只有顺其自然,静观其变了。
在阅读6月27日的日经新闻时,夹在这些沸沸扬扬热门报道缝隙间的一篇报告引起了我的兴趣。那是登载在18面的由金子元久法政大学特命教授执笔、题为“高等教育日中之差实感”(日语题目:「高等教育 日中の差を実感」)的寄稿。他在文中提及美国和中国大学生的学习时间远远超过日本,而日本大学生多数不学习,如此以往国家和社会、或者本人未来将何去何从呢,等等论点。
读来感觉颇有意思,值得反复咀嚼回味。
记得4月分,我有位中国朋友担忧地说:“在今天的中国,中学生和高中生都为了进入好的大学从早到晚在学校、私塾以及家里超乎寻常地长时间学习,完全没有玩耍的时间。虽说考不进好的大学,则成不了党和企业的干部,但是连玩耍的乐趣都不知道的孩子将来成了大学生、长大成人、能领导国家和国民吗?“
这让我不由想起60年前的往事来,中学和高中时代,我曾被老师教训,不爱学习将来怎么办。那时没有电视机、放学后就只知道玩、早睡早起、每天晚上边听收音机8点半就钻入被窝就寝了。不过进入大学后,除了知道玩,也开始认真地学习了。
英国脱欧,世界将朝好的方向还是坏的方向走,这个确实难以预测,不过回想往事,我可以自信地说,在人的成长中,学习和玩耍,两者都至关紧要,不可或缺。

2016年3月7日月曜日

三等分主義~現役時代から引退後も歩き続けている王道

グローバル企業(人)の姿~アフガニスタン地雷除去への献身的な支援活動


この前、安崎会長より「余生三等分主義の2 家族のため」をトピックとする家事手伝い奥様との南アフリカへの旅についてのお話をいただきましたが、その後いただいたお話がまた「余生三等分主義の1 世のため人のため」に戻ったような気がします。しかし、コマツ現役時代のお話なので余生についてではないのです。ところですが、去年10月の「藍染めの海外普及懇談会~安崎暁武勇伝&藍染め武勇伝」に少し言及され、今回詳細化された遺書を残して対人地雷除去テスト視察の為にアフガニスタンへの旅の話が、確かに世のため人のためという話題に最高な内容なので、三等分主義という生活スタイルが引退後の安崎会長のいきなりの発想ではなく、実に現役時代からすでに歩き始め、引退後も歩き続けている王道じゃないかと思うようになりました。

----安崎会長からの地雷排除現場視察紀行文-----


アフリカもまだ脚光を浴びるに至っていませんが、ついでにアフガニスタンへ行った時の話をいたしましょう。

アフガニスタンは日本の1・7倍の国土を持ち、イラン、パキスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、中国に囲まれた多民族国家です。

日本とは1930年に修好条約を締結、1969年国王訪日、1971年皇太子ご夫妻(当時)アフガニスタン訪問、かつては地上の天国ともいわれましたが、王政崩壊後は内乱が続き、2002年カルザイ大統領がタリバンを退けたころ、アフガニスタン支援の世界会議が東京で開催されました。コマツなど日本の建機メーカーは対人地雷を取り除く自動建機をアフガニスタンに供給しようというプロジェクトに取り組みました。地雷には対戦車地雷と対人地雷の2種類があります。ソ連の侵攻、そのあとの内戦状態により対人地雷が大量に埋設されており、空港、道路、上下水道、学校の建設も進みません。復興のためには、まず地雷を取り除く必要があったのです。国連は地元の人手を使い地雷の除去をやっていました。危険な作業で爆発のたびに手足をなくす作業員が続出していました。自動建機で人身事故の被害をなくし、200年かかると予想された除去作業を早く終わらせようと計画したのです。

まだ一抹の不安もあったが、2005年3月にアフガニスタンに行ってきた。“危険極まりない、誘拐されたらどうするの?”会社全体で私の訪問には大反対。公安委員会、外務省、国連などに応援してもらい安全確保の対策は講じた上で、対人地雷用自動建機の計画推進という大目的のため、「捕まったら身代金は払わなくてよい、殺されたら遺骨も回収不要」という遺書を書き、万一の場合には、TVでこの遺書を読み上げてよいと言い残してでかけた。百聞は一見に如かず、首都カブールは人と車で混雑していた。日本からの緊急援助で送られたバスやパトカーも日の丸を車体に刷り込んで街を走っており、協力が目に見えるせいで市民は日本の援助に感謝していた。大使館、国際協力機構(JICA)、NGOなど100人ほどの日本人も地方を飛び回って汗を流していた。


出発前に丁度来日していたアメリカのアフガン駐在大使、とも話ができた。彼の話を聞いて、アメリカの国務省の懐の深さを実感した。なんとこの大使は国務省の外交官だが、出身はアフガニスタン人でカルザイ大統領ともツーカーの仲なのだ。いざというときにこういう人を大使に起用できる人材のストックがあるのだ。彼は我々の地雷除去の計画の重要性・緊急性にも理解を示してくれた。



ドバイ経由の国連機に乗せてもらい到着後直ちに空港のすぐそばの地雷除去作業中の現場に案内してもらった。一瞬も気の抜けない危険な手作業だ。国連の専門家と現地の人たちが苦労している。地形や状況は現場ごとに異なり作業の無人化は簡単ではないが、日本の技術が貢献できる分野であるとの確信を得た。(続き)


中文~全球企业(人)的风采~対阿排雷工程奋不顾身的支援活動


 前些日子登载了安崎会长以「余生三等分主义之2 为家人」为话题的家务事帮手以及偕夫人南非之旅的故事,那之后收到的内容读来感觉又回到了「余生三等分主义之1 为世界为他人」的话题。不过这回的故事却是发生于小松现役时代,并非退役之后的余生中。但是,在去年10月的「藍染めの海外普及懇談会~安崎暁武勇伝&藍染め武勇伝」里曾稍有提及,这次详细道来的留下遗书果敢实现了以对人地雷排除测试视察为目的的阿富汗之旅的话题,就「为世界为他人」这点而言,实是再合适不过的内容。由此可见,三等分主义这个生活方式并非安崎会长隐退后突然冒出的念头,而应该是他在现役时代就开始踏上,隐退后也坚持不懈,至今还在坚持行走中的一条王道。

----安崎会长的排雷现地视察实记----


上次聊到的非洲尚未成世界大舞台的耀眼明星,今天想起了一些访问阿富汗时的往事,因此暂且搁一搁非洲的话题。

阿富汗国土相当于日本国土的1.7倍,是一个毗邻伊朗、巴基斯坦、塔吉克斯坦、乌兹别克斯坦、土库曼斯坦以及中国的多民族国家。

阿富汗于1930年与日本缔结友好条约,1969年国王来访日本,1971年日本皇太子夫妇(当时)访问阿富汗。那时的阿富汗曾被誉为地上天堂,然而王政崩溃后不幸内乱连连,2002年卡尔扎伊总统终于击退了塔利班,支援阿富汗的世界会议在东京召开。小松等日本建设机械制造企业提出为阿富汗提供排雷自动建设机械并致力于这个项目的启动工作。地雷分为对战车地雷和对人地雷2种。因苏联的进攻以及之后的连年内战,埋设地下的大量对人地雷导致机场、道路、自来水、学校的建设无法进行。复兴阿富汗,首当其冲的工作是排除地雷。虽然联合国已经召集当地人手开始了排雷工作,但是因为工作的危险性,每次地雷爆炸都发生工作人员被炸掉手脚的惨事。若用自动机械排雷,可望杜绝人身事故,使原本需要200年才能结束的排雷工程有望早日完成,我们的计划便是出于这个目的而制定。

在时局还有点不安定的2005年3月,我实现了阿富汗之旅。当时全公司发出的都是异口同声极力反对的声音“太危险了,被拐被绑怎么办?”。但是,我力图获得了公安委员会、外务省、联合国等方方面面的支持,制定了确保安全的对策后,为了对人地雷排除用自动建设机械的计划的推行这个大目的的实现,留下了「如果被绑不用支付人质赎金,被杀害也不用收回遗骨」的遗书,并告诉大家若万一事故发生,可以在电视上宣读这封遗书后,实现了阿富汗排雷视察之旅。百闻不如一见,首都喀布尔人车混杂,险象环生。日本运送来的刷着太阳旗的紧急援助公交以及巡逻车也在街中运行,因为这些协力活动有目共睹,所以市民对日本的援助报以感谢之请。来自于大使馆、国际协力机构(JICA)、NGO等100位左右的日本人也飞奔于各地,在援助活动中身体力行,尽心竭力。

出发前与恰好访日的美国驻阿富汗大使也聊了聊。他的言谈让我领会到了美国国务院的城府之深,包容力之大。这位大使虽然是国务院的外交官,却是阿富汗人、是卡尔扎伊总统心照不宣的友人。为急需时有人可用,看来美国早就撒网收罗这类人物于帐下了。他表示理解我们的排除地雷计划的重要性及紧急性。

乘坐经由迪拜的联合国飞机,一到阿富汗我立马让人带我去了机场附近的地雷排除作业现场。在那里亲眼目睹这一分一毫也不可掉以轻心的危险人工作业。见证了联合国专家们与当地住民共度危难的身姿。通过视察,我感觉现场的地形及状况各有差异,使得排雷作业无人化也并非简单的事情,但我也确信,日本的技术一定能在这一分野大有作为,大有贡献。(待续)

2016年2月15日月曜日

「余生三等分主義の2 家族のため」(続き)~「マンデラ学校」の生徒

この前、西本様からの藍染め報道資料を掲載したブログ及びその次の安崎会長の「家事手伝い」という肩書の新名刺のお話、2回とも面白くてかなり注目を集めました。注目は激励でもあり、継続する力にもなります。さあ、今日もこの勢いに乗りましょう。前回「時々海外旅行にも行く」と、一言ありましたが、今回はもう少し詳しいお話をいただきました。

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南アフリカ共和国最南端の沖合に、かつてアザラシの毛皮貿易で知られたロベン島がある。マンデラ元大統領はこの小島にも18年間、政治犯として幽閉されていた。
マンデラ政権時代の有力政治家の一人、トウキョウ・セくワレ市もかつてこのロベン島で捕らわれの身だった。2000年の初めのごろ、実業界に転身した同氏が日本と南アフリカのビジネス・フォーラムの南ア側代表として私が団長として出かけた経団連の代表団の一行をこの島に案内してくれた。「これがかつての私の部屋だ」と小窓一つの独房に連れて行かれた。私を中に一人残したまま彼は外から鍵をかけた。ガチャン!「長年この音と暮らしていたのだ。」と彼の13年に亘る希望と絶望の青年時代を語ってくれた。

重要政治犯は、石切作業のかたわら通信教育の受講や昼の散歩が許されていた。多くの若い囚人が歴史・哲学・科学・経済を通信教育でむさぼるように学び、昼の散歩の時間には中庭でマンデラと並んで歩きながら南アの将来の姿を語り合った。彼らが「マンデラ学校」の生徒だ。セクワレ氏が東京に行ったことがないのに「トウキョウ」と名乗ることにしたのは、通信教育で学んだ明治維新以来の日本の発展を、将来の南ア発展の夢に重ねたためだった。実業家として大成し、ダイアモンド王となった彼はすでに来日して現在の東京も承知している。

昨秋家内との鉄道の旅で地元の新聞を読んでいたら彼に関する記事を見た。その記事はFIFAの新しい会長を選ぶ選挙にトウキョウ・セクワレ氏が立候補したことを報じたものだった。中庭でかつてボールを蹴ったこともあったのだろうか?(続く)

中文---余生三等分主義之2 为家人(续)---“曼德拉学校”的学生


前些日子发表了以西本小姐提供的蓝染报道资料为内容的博文以及其后安崎会长关于制作职位为”家务帮手”的新名片话题的博文,这2篇都因其妙趣而颇受关注。关注既是激励,亦是继续的动力。今天便借力乘势前行。上次博文里有句话“有时会去海外旅行”,这次的内容则可说是对这句话展开的一次详细描述。
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在南非共和国最南端的近海,坐落着曾因海豹毛皮贸易而闻名于世的罗宾岛。前大总统曼德拉曾作为政治犯,被幽禁在这个小岛上长达18年。
曼德拉政权时代有力政治家之一的托基奥•塞克斯瓦莱(TOKYO SEXWALE)氏也曾被关押在罗宾岛。大概是2000年年初,改头换面进入了实业界的他作为日本和南非商业洽谈会的南非方代表,陪同以我为团长的经团联代表团一行去了这个小岛。他领着我们到只有一个小窗的单间牢房介绍说:“这是曾经关押我的屋子”。他把我一个人留在里面,从外面把门咣啷!一声锁上了。“这响声我听了很多年。”,他给我讲了那长达13年、交织着希望与绝望的青年时代。
当时的重要政治犯在采石工作之余被许可接受通信教育,中午还有散步时间。因此许多年轻囚犯得以接受通信教育,如饥似渴地学习历史、哲学、科学及経済,并在中午散步时间里和曼德拉在监狱内院里一起,边走边谈论南非的未来。我称他们是“曼德拉学校”的学生。塞克斯瓦莱氏没有去过东京(TOKYO,他的译名“托基奥”)却给自己取名为“托基奥”,是因为他在接受通信教育时,日本明治维新后的发展历史与他脑海里对南非未来的发展梦想交织重叠在一起的缘故。成为实业家大亨并成为钻石王的他后来当然来过东京,对东京很熟悉了。
去年秋天我在偕妻子参加的铁道之旅途中阅读当地报纸,看到了关于他的报道。那篇报道说托基奥•塞克斯瓦莱氏曾参加国际足联新会长竞选。这倒出乎我的预料,难道他还曾在监狱内院里踢过球吗?(续)

2016年2月9日火曜日

「余生三等分主義の2 家族のため」~「家事手伝いの見習」

昨年、安崎会長は上海で『聚变』という中国語の著作の出版に伴い、幾つかの交流会で顔を出された後、日本で2回かな…講演会でしか姿が見えなかった。
そのため、今年の元旦を過ぎてから年賀兼新年抱負を伺うメールを出してから、もしかしてこのブログサイトの断捨離についてのご返信が来るじゃないかと思いました。が、私の考えが大間違ったようです。最近原稿が続々届き、ただいまはなかなか面白いものを笑いながらアップしています。

「余生三等分主義の2 家族のため」~「家事手伝いの見習」


(先日の続き)余生三等分主義の2は家族だ。

家内との二人暮らし。子供が3人。孫は5人。
昨秋家内と二人で南アフリカ観光ツアーに参加し満開のジャカランダの花見、ケープタウンの世界遺産植物園、ROVOS RAIL鉄道の旅、VICTORIAの滝見を楽しんできた。

時々海外旅行にも行くが普段は毎日の家事の手伝いと共通の趣味であるチェスの対戦で妻とのコミュニケーションが取れている。お陰さまで、別れ話もなく仲良く暮らしている。

私のゴルフ友達T君は、引退後、名刺の肩書が空白になり少し寂しいが今更仕事でもない、そこで新しい名刺の肩書を「家事手伝い」と記した。その名刺をもらったがなかなか味がある。真似をして私も作ってみた。T君も奥方から、「家事手伝いの見習」の方が相応との評をもらったそうだが、我が家でも同様であった。

この名刺はめったな相手にはあげられない。現役ぱりぱりの人には理解されず、馬鹿にされる。老害気味のご同輩には、いやな顔をされるか馬鹿にされる。初対面の人もだめだ。”今どうしてる?”とお互いの消息を確かめるような昔の友人で気心もよくわかっているようなごく少数の人にだけに差し上げる。反応は賛否50%。やや賛成派が少ない。女性には受けが良い。

中文 ~ 「余生三等分主義の2 为家人」~「家务帮手见习生」


去年,安崎会长随中文版著作『聚变』在上海出版而露面了几场相关交流会后,在日本好像只在2次讲演会上出现过。
因此,我在元旦后发给他的贺年兼请教新年抱负电子邮件后,心想或许等来的会是关于这个博客网断舍离的回信。看来我的想法大错特错了。最近稿件不断,此刻上传的这一小段是难见的风趣,不笑都难啊。
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(续前文)余生三等分主义之2是为家人。

我与妻子二人过日子。有孩子3人,孙子5人。

去年秋天我和妻子一起参加了南非观光旅游团,饱览了满开的蓝花楹、参观了开普敦的世界遗产植物园,参加了非洲之傲RovosRail列车之旅、欣赏了维多利亚大瀑布。

有时会去海外旅行,不过一般也帮妻子干些日常家务事,并与她下棋,这个共同爱好让我们得以维持良好的夫妻关系。托下棋的福,我俩之间没出现分离之类的话题,过着其乐融融的日子。

我的高尔夫朋友T君引退后,名片上的职务一栏空了,虽然感觉有点落寞,可是既然退下了就不能再去工作吧,于是他制做了新名片,职务栏是“家务帮手”。拿到他的名片,我感觉蛮有意思。学着他我也试着为自己做了这样的名片。听T君说他夫人对他新名片的评价是,“家务帮手见习生”的职务对他来说应该更合适点,其实我家也如此。

我这名片能发放的对象极少。发给干劲十足的现役人士,我会被当成傻瓜。发给老不让位那种有老害嫌疑的同辈,会得不到好脸看或者也被当成傻瓜看待。初次见面的人也不行。只能发给那种相互关心地打听”现在怎么样?”,极少数很久前就相识相知的老朋友。反应是赞否各50%。赞成派比较少,男女相比,女性反应良好。

2016年1月11日月曜日

余生三等分主義の1 世のため人のための活動

新年早々当研究会安崎会長への年賀兼今年のご抱負打診メールへのご返信の続きが届きました。煉瓦を投げて玉を引き寄せたという達成感を味わいながら、ブログへ玉を増やしましょう。

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現在78歳の私が10歳ぐらいのころ(68年も前だ!)故郷徳島の小学校の先生がクラスの全員に“将来何をやりたいか夢を話せ”と課題を与えた。終戦後間もないころで、自分で言うのも変だが、当時私の学校の成績は良く、大人の新聞も読んでいた。敗戦国の日本や国民がこれから大変だなとは子供心に何となく実感していた。ごく当たり前のように私の希望は「政治家になって国民のために働くことだ」と答えた。
先生は即座に“あなたは指導力がないから、政治家には向いていないと思う。実業家とか、学者はどう?”と言われた。今考えると人の面倒をみたり、世話をすることがあまり好きでなく得意ではない一匹狼風の私の性格をよく見抜いていた評価だと感心する。
政治の世界は「理、利、情」で動くという。世界、国や地方の発展のための理念・理想像、それぞれの利益、(時に自分・家族・業界の利益)、それらを選挙民に理解してもらうための情に訴える日常の諸活動、理利情の三拍子が揃わないと政治家は務まらない。
もし世話好きでない私が政治家を目指していたら、国会議員には当選できなかったであろう。ただ子供心に指導力とは何だという疑問が残った。
翌週の同じクラス(男女共学の50人)の男子生徒達が昼過ぎのこの先生の授業で騒いでいて怒られた。“うるさいから教室から出ていけ”と言われた。私はすぐ“オウ出ていこうぜ”と仲間に呼びかけ騒いでいた男子生徒の大半が一緒に校庭に飛び出した。そこでまたガヤガヤと遊んでいると廊下の窓からその先生が、“うるさいから学校から出ていけ”と言われた。仲間のみんなと後先の考えもなく学校を飛び出し、近くの公園に遊びに出掛けた。何十年か後の田舎の同窓会で“お前が出ていこうというのでみんなでついて行ってえらい目にあったな”と当時のことを覚えている同級生が話した。
以下続く。


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年初发给本研究会安崎会长的贺年兼今年抱负咨询电子邮件的回复的续文很快也到了,这份抛砖引玉的成就感,让我鼓足干劲,来给博客加快美玉。

阅读中文  --- 「余生三等分主义之1 为世界为他人的活动

现年78岁的我,在10岁左右(68年前!)就读于故乡德岛的小学校,有天小学老师对全班同学布置了一个课题:“将来都想干些什么,大家都说说自己的梦想”。那是终战后不久,厚着脸皮自夸一下,当时我成绩优秀,已在阅读成人的新闻。因此虽为小孩,我却隐约感觉到战败国的日本以及国民将不得不迎战艰难困苦的时代。于是我极其自然地发言说我的希望是:“成为政治家,为了国民而工作”。
老师立即说:“我看你没有指导能力,不适合做政治家。当个实业家、或者学者如何?”。到了今天再想想,这位老师可谓心明眼亮,早早就洞悉了不太喜欢也不擅长照顾人的我,性格更像一匹孤狼,令人感概万千。
政治的世界以“理、利、情”而动。作为政治家,需要拥有以让世界、国家及地区的发展为目的的理念以及理想像、并需要在各项活动中对选民们动之以情晓之以理让他们理解这方方面面的利益(有时还牵扯着自己、家族、以及业界的利益)。理利情,必须三者俱全,短缺任何一者,都不可能成为一个有所作为的政治家。
倘若不善照顾他人的我硬将政治家当成了自己的志向,估计是没能当选为国会议员的。只是,孩童心里对于指导力是什么,存有质疑。
在那之后下个星期的一个午后,上同一位老师的课(男女同学共50人),男同学们在课堂上吵吵闹闹,惹得老师动了怒:“太闹了,给我从教室出去”。我马上回应:“喔,出去咯”,这么一叫,吵闹着的男同学一大半就一窝蜂跑出了教室。之后小伙伴们闹闹哄哄地在走廊上玩耍,老师更生气了“这么吵闹,给我从学校出去”。这一来,我和伙伴们不顾后果跑出学校,去了附近的公园玩了个够。几十年后在老家的同窗会上,想起这事的同学还说:“听你喊出去,于是大家都跟着去了,后来可让大家尝到大苦头了。”
待续。