2016年2月15日月曜日

「余生三等分主義の2 家族のため」(続き)~「マンデラ学校」の生徒

この前、西本様からの藍染め報道資料を掲載したブログ及びその次の安崎会長の「家事手伝い」という肩書の新名刺のお話、2回とも面白くてかなり注目を集めました。注目は激励でもあり、継続する力にもなります。さあ、今日もこの勢いに乗りましょう。前回「時々海外旅行にも行く」と、一言ありましたが、今回はもう少し詳しいお話をいただきました。

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南アフリカ共和国最南端の沖合に、かつてアザラシの毛皮貿易で知られたロベン島がある。マンデラ元大統領はこの小島にも18年間、政治犯として幽閉されていた。
マンデラ政権時代の有力政治家の一人、トウキョウ・セくワレ市もかつてこのロベン島で捕らわれの身だった。2000年の初めのごろ、実業界に転身した同氏が日本と南アフリカのビジネス・フォーラムの南ア側代表として私が団長として出かけた経団連の代表団の一行をこの島に案内してくれた。「これがかつての私の部屋だ」と小窓一つの独房に連れて行かれた。私を中に一人残したまま彼は外から鍵をかけた。ガチャン!「長年この音と暮らしていたのだ。」と彼の13年に亘る希望と絶望の青年時代を語ってくれた。

重要政治犯は、石切作業のかたわら通信教育の受講や昼の散歩が許されていた。多くの若い囚人が歴史・哲学・科学・経済を通信教育でむさぼるように学び、昼の散歩の時間には中庭でマンデラと並んで歩きながら南アの将来の姿を語り合った。彼らが「マンデラ学校」の生徒だ。セクワレ氏が東京に行ったことがないのに「トウキョウ」と名乗ることにしたのは、通信教育で学んだ明治維新以来の日本の発展を、将来の南ア発展の夢に重ねたためだった。実業家として大成し、ダイアモンド王となった彼はすでに来日して現在の東京も承知している。

昨秋家内との鉄道の旅で地元の新聞を読んでいたら彼に関する記事を見た。その記事はFIFAの新しい会長を選ぶ選挙にトウキョウ・セクワレ氏が立候補したことを報じたものだった。中庭でかつてボールを蹴ったこともあったのだろうか?(続く)

中文---余生三等分主義之2 为家人(续)---“曼德拉学校”的学生


前些日子发表了以西本小姐提供的蓝染报道资料为内容的博文以及其后安崎会长关于制作职位为”家务帮手”的新名片话题的博文,这2篇都因其妙趣而颇受关注。关注既是激励,亦是继续的动力。今天便借力乘势前行。上次博文里有句话“有时会去海外旅行”,这次的内容则可说是对这句话展开的一次详细描述。
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在南非共和国最南端的近海,坐落着曾因海豹毛皮贸易而闻名于世的罗宾岛。前大总统曼德拉曾作为政治犯,被幽禁在这个小岛上长达18年。
曼德拉政权时代有力政治家之一的托基奥•塞克斯瓦莱(TOKYO SEXWALE)氏也曾被关押在罗宾岛。大概是2000年年初,改头换面进入了实业界的他作为日本和南非商业洽谈会的南非方代表,陪同以我为团长的经团联代表团一行去了这个小岛。他领着我们到只有一个小窗的单间牢房介绍说:“这是曾经关押我的屋子”。他把我一个人留在里面,从外面把门咣啷!一声锁上了。“这响声我听了很多年。”,他给我讲了那长达13年、交织着希望与绝望的青年时代。
当时的重要政治犯在采石工作之余被许可接受通信教育,中午还有散步时间。因此许多年轻囚犯得以接受通信教育,如饥似渴地学习历史、哲学、科学及経済,并在中午散步时间里和曼德拉在监狱内院里一起,边走边谈论南非的未来。我称他们是“曼德拉学校”的学生。塞克斯瓦莱氏没有去过东京(TOKYO,他的译名“托基奥”)却给自己取名为“托基奥”,是因为他在接受通信教育时,日本明治维新后的发展历史与他脑海里对南非未来的发展梦想交织重叠在一起的缘故。成为实业家大亨并成为钻石王的他后来当然来过东京,对东京很熟悉了。
去年秋天我在偕妻子参加的铁道之旅途中阅读当地报纸,看到了关于他的报道。那篇报道说托基奥•塞克斯瓦莱氏曾参加国际足联新会长竞选。这倒出乎我的预料,难道他还曾在监狱内院里踢过球吗?(续)

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