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...ソ連での契約調印後は、おきまりのウォッカ・パーティだ。何度かウォッカを飲んでいる内にわかってきたのは、私は6杯までは正気を保てるが、7杯で意識不明になってしまうということだった。7杯飲んだときは、必ずひっくり返ってしまい、ベッドの上で朝を迎える結末になる。服は着たまま、靴も履いたままという格好だ。
飲めないウォッカを無理して飲むうちに、体調を崩した。このままの生活をしていると、身体を悪くするか、仕事を辞めるかの選択となってしまう。ある日、無理矢理飲ませようとする商談相手に、「もう飲めない。これ以上飲ませるなら、次からの商談では1杯100万ドルの値上げをするぞ」と脅かした。相手も酔っているので、「OK、OK。いいから飲め」としつこく強要した。仕方がないので、無理をして飲み、いつも通りひっくり返ることになった。
次の商談で価格を合意した後、「ところで、前回のウォッカ代を足してもらおう。あと100万ドル払え」と大人気なく、しかし断固として100万ドルの上乗せ交渉をした。当然、相手は拒否する。しかし、私も引き下がらない。2日粘って、結局100万ドル追加での契約調印に成功した。
この100万ドルが、私のものになるわけではなく、当然会社の売上高となるのだが、当時の日ソ貿易担当で、こんなことをした日本人はいないだろう。その後、相手も私には「飲め、飲め」の無理強いはしなくなった。まさに100万ドルの威力だ...
1杯让谈判增值100万美元的伏特加~请勿盲目模仿...
作为中文译者,如果用三国来比喻安崎会长的中文书,那么已经在中国出版的《聚变》因其较难啃的经济经营理论方面的内容较多可喻之为《三国志》,而今后预计在中国出版的《播种梦想》(假定书名)里妙趣横生的内容大大增多,因此我想将它喻称为《三国演義》。里面有一段特别让我拍手称快的内容⇒《1杯让谈判增值100万美元的伏特加》。获得著者许可,分享如下。不过需要注意的是,安崎会长当时敢于如此行事是因为小松在苏联经过了与卡特彼勒之间你死我活竞争之后,打造出了卖方市场吧,因此谨防盲目模仿。
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...与苏联方签订契約之后,按照惯例举行了伏特加酒宴会。喝过几次伏特加后,我已经清楚自己的酒量,通常喝到6杯还能保持清醒,而喝到第7杯就会意识不清,喝完第7杯的结果必定是穿着衣服、鞋子就翻倒了,躺在床上直到第二天早上才能清醒过来。
喝不了伏特加,却勉强喝,以至于喝坏了身体。如此下去,总有一天我将不得不面临喝垮身体还是辞掉工作的两难抉择。有一天,我威胁向我强行劝酒的商谈对手说:“不能再喝了。你如果硬要我继续喝,下一次商谈时提价,1杯算100万美元”。对方也已经醉了,继续不罢休地强行向我劝酒:“OK、OK。喝吧”。没办法,我只好勉强喝下,与通常情况一样,喝翻了。
下一次商谈中双方就价格达成合意后,我像犯了孩子脾气似地、却毅然决然地向对方交涉加价100万美元:“话说,上次的伏特加费用加上吧。你得付100万美元”。当然,对方拒绝了,但是我却也不依不饶、绝不相让。你来我往斗了2天,结果是我成功地让对方加上100万美元、签订了契约。
这100万美元当然不是进入了我的腰包、而是计入公司的销售额里。当时的日苏贸易担当里,除了我应该没有第二个人干过这样的事情。那之后,商谈对手再也不对我强行劝酒了,100万美元之巨大威力真是不容小觑...