2016年1月11日月曜日

余生三等分主義の1 世のため人のための活動

新年早々当研究会安崎会長への年賀兼今年のご抱負打診メールへのご返信の続きが届きました。煉瓦を投げて玉を引き寄せたという達成感を味わいながら、ブログへ玉を増やしましょう。

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現在78歳の私が10歳ぐらいのころ(68年も前だ!)故郷徳島の小学校の先生がクラスの全員に“将来何をやりたいか夢を話せ”と課題を与えた。終戦後間もないころで、自分で言うのも変だが、当時私の学校の成績は良く、大人の新聞も読んでいた。敗戦国の日本や国民がこれから大変だなとは子供心に何となく実感していた。ごく当たり前のように私の希望は「政治家になって国民のために働くことだ」と答えた。
先生は即座に“あなたは指導力がないから、政治家には向いていないと思う。実業家とか、学者はどう?”と言われた。今考えると人の面倒をみたり、世話をすることがあまり好きでなく得意ではない一匹狼風の私の性格をよく見抜いていた評価だと感心する。
政治の世界は「理、利、情」で動くという。世界、国や地方の発展のための理念・理想像、それぞれの利益、(時に自分・家族・業界の利益)、それらを選挙民に理解してもらうための情に訴える日常の諸活動、理利情の三拍子が揃わないと政治家は務まらない。
もし世話好きでない私が政治家を目指していたら、国会議員には当選できなかったであろう。ただ子供心に指導力とは何だという疑問が残った。
翌週の同じクラス(男女共学の50人)の男子生徒達が昼過ぎのこの先生の授業で騒いでいて怒られた。“うるさいから教室から出ていけ”と言われた。私はすぐ“オウ出ていこうぜ”と仲間に呼びかけ騒いでいた男子生徒の大半が一緒に校庭に飛び出した。そこでまたガヤガヤと遊んでいると廊下の窓からその先生が、“うるさいから学校から出ていけ”と言われた。仲間のみんなと後先の考えもなく学校を飛び出し、近くの公園に遊びに出掛けた。何十年か後の田舎の同窓会で“お前が出ていこうというのでみんなでついて行ってえらい目にあったな”と当時のことを覚えている同級生が話した。
以下続く。


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年初发给本研究会安崎会长的贺年兼今年抱负咨询电子邮件的回复的续文很快也到了,这份抛砖引玉的成就感,让我鼓足干劲,来给博客加快美玉。

阅读中文  --- 「余生三等分主义之1 为世界为他人的活动

现年78岁的我,在10岁左右(68年前!)就读于故乡德岛的小学校,有天小学老师对全班同学布置了一个课题:“将来都想干些什么,大家都说说自己的梦想”。那是终战后不久,厚着脸皮自夸一下,当时我成绩优秀,已在阅读成人的新闻。因此虽为小孩,我却隐约感觉到战败国的日本以及国民将不得不迎战艰难困苦的时代。于是我极其自然地发言说我的希望是:“成为政治家,为了国民而工作”。
老师立即说:“我看你没有指导能力,不适合做政治家。当个实业家、或者学者如何?”。到了今天再想想,这位老师可谓心明眼亮,早早就洞悉了不太喜欢也不擅长照顾人的我,性格更像一匹孤狼,令人感概万千。
政治的世界以“理、利、情”而动。作为政治家,需要拥有以让世界、国家及地区的发展为目的的理念以及理想像、并需要在各项活动中对选民们动之以情晓之以理让他们理解这方方面面的利益(有时还牵扯着自己、家族、以及业界的利益)。理利情,必须三者俱全,短缺任何一者,都不可能成为一个有所作为的政治家。
倘若不善照顾他人的我硬将政治家当成了自己的志向,估计是没能当选为国会议员的。只是,孩童心里对于指导力是什么,存有质疑。
在那之后下个星期的一个午后,上同一位老师的课(男女同学共50人),男同学们在课堂上吵吵闹闹,惹得老师动了怒:“太闹了,给我从教室出去”。我马上回应:“喔,出去咯”,这么一叫,吵闹着的男同学一大半就一窝蜂跑出了教室。之后小伙伴们闹闹哄哄地在走廊上玩耍,老师更生气了“这么吵闹,给我从学校出去”。这一来,我和伙伴们不顾后果跑出学校,去了附近的公园玩了个够。几十年后在老家的同窗会上,想起这事的同学还说:“听你喊出去,于是大家都跟着去了,后来可让大家尝到大苦头了。”
待续。


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