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2014年4月4日金曜日

韓国旅行、初めての海外旅行

今日は「グローバル化にどう取り組むか」へ逆戻りしたい。

 グローバル企業発展を研究する上では避けて通れない話題はもうひとつある-コミュニケーションだ。ブログやFacebookをスタートしてから、まったく接点がなかった方々との交流が出来たのはインターネットのお蔭だ。インターネットの発展に連れて企業や個人の生活のグローバル化が益々進展している。もはやインターネットの世界にすでに国境というものがなくなり国を出なくてもグローバルコミュニケーションができる。しかし世界がこうなってきても対面しなければ決められない、体験できない、十分に楽しめないことがあるため、海外旅行などを通じて行う現実世界でのコミュニケーションがまだなくてならないものだ 。海外旅行の一例だとして一番印象に残したのは韓国旅行だ。
私がコマツに入社して10年位経過した1970年に韓国に行ったのが最初の海外旅行。赤軍派よど号事件(JALハイジャック犯人が北朝鮮に亡命、拉致事件発生の前のできごと)の直後、大阪万博で日本が沸いていたころです。ソウルの空港でライフルを構えた警備員が大勢いたのにびっくり、平和ボケに冷水をかけられた。当時の韓国は、未だ貧しく毎週水曜日は飲食店での米飯は提供禁止だった。仲間と共ソウル大学に討論会を申し込んだ。我々の英語よりアメリカ留学帰りの大学院学生の方が上手で、当時話題の日本のエコノミックアニマル議論ではたじたじとなった。韓国経済はテイクオフ寸前だった。
1970年当時の大学院学生の日本への対抗心の強さには驚かされたが、国民の追い付け 、追い越せのハングリー精神と財閥のトップダウン型積極投資が実って21世紀今日の成長を実現した。その当時は、韓国に我々の工場を作る戦略は持てなかった。既にヒュンダイ、サムスン、ダエウが建機の事業化を開始し、過当競争気味の国内市場規模は大きくなく、労働組合の力も強いと言う当時の状況であったからだ。欧米、アジア市場における現地生産工場の建設を優先した。
後年、この3社とは交流を深め、先方から事業提携の相談もあったが実らなかった。1995年、社長時代に東京の外人プレスクラブで話をした時、勢いをつけつつあった韓国勢3者とのコマツの競争戦略を質問された。それは、トップシ―クレットだと答えをはぐらかせたら、失笑された。エンジン・油圧部品など建機の心臓部を自社で 持たず日本製輸入コンポ頼りだったので強敵とは思わなかった。韓国勢は日本・欧米勢が軽視していたアフリカ、東欧、中米などの市場に根を張りつつあった。中国でも価格を武器の強敵となったが、好況期に発展、不況期に在庫を抱え上下動で苦労する状態をまだ克服できていないが、我々がはなを高く傲慢になり、枕を高く寝て油断をすれば、電機同様負ける可能性があることに注意している。

-----以下中文阅读-----

今天想返回到「如何致力于全球化事业」的话题。
在关于全球化企业发展的研究中还有一个不可回避的话题ー交流。自开通博客和Facebook后,我和完全不曾有过交接点的人之间的交流得以实现,这是托因特网的福。随着因特网的发展,企业以及个人生活的全球化也在加速发展,在因特网的世界里所谓的国境已不复存在,人不出国全球化交流亦能实现。虽说世界已然如此,但是非对面不能决定,不能体验,不能充分尽兴的事情却也不乏存在,因此海外旅行等方式的现实世界里的对面交流依然不可或缺。作为海外旅行的一个例子,我记忆最为深刻的是我的韩国旅行。

韩国旅行是在我进入小松大约10年后的1970年,我的第一次海外旅行。那是在赤军派淀号事件(劫持日航飞机逃亡朝鲜,绑架事件发生前之事)刚刚发生之后,日本正因万博而热火朝天的时候。汉城机场里大批荷枪实弹的武装警卫人员让我大吃一惊,犹如迎面泼向和平痴呆症患者的一盆冷水。当时的韩国还处于贫困中,每周三禁止饮食店提供米饭。我和同伴向汉城大学提交了参加讨论会的申请。从美国留学归来的大学院生比我们的英语水平高,围绕日本的经济动物这个当时的热门话题的讨论真有些招架不住。当时的韩国经济正处于腾飞的前一刻。
那时的韩国大学院生对日本怀着让人吃惊的强烈的对抗心,不过也正是那个时代的韩国国民追赶,赶超先进的饥渴精神以及财阀的纵向型投资获得了成功,促成了今日21世纪的成长。小松当时还没有在韩国开设工厂的战略布署。当时的状况是现代,三星,大宇开始了建设机械的事业化,有些过度竞争氛围的国内市场规模还不大,工会的力量也比较强大。因此小松优先在欧美,亚洲市场开始建造现地生产工厂。
后来,我曾与这3家公司有过更深入的交流,对方也曾提过有关合作事宜,不过并没有结果。1995年,社长时代的我在一次外国人记者俱乐部上被问及小松与正在迅猛发展的这3家韩国公司之间的竞争战略,记得我回答那是高级机密引发了与会者的笑声。其实他们当时都需要从日本进口发动机・油压部件等建设机械的关键部件,因此我们没把他们当强敌对待。韩国则在被日本・欧美轻视的非洲,东欧,中美等市场持续扎根,拓展势力范围。而在盛行价格战的中国,景气好的时期前景可观,景气不佳的时期会出现库存问题,虽然韩国在中国还未从这困苦状态里解脱出来,然而需要警醒的是倘若我们自高自大,高枕无忧,掉以轻心,那么有可能重蹈电机事业败北之覆辙。