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2016年1月26日火曜日

「余生三等分主義の1 世のため人のための活動」(続き1)~教育及び日中交流支援

1月2日に安崎会長へ出した年賀メールが玉を数枚も引き寄せれるような投げ煉瓦になれるとは思いもよらなかった...今日も頑張って一枚運んでまいります。
(先日の続き)そういうわけで、以後小中学生、高校、大学を通じ多くの先生に教えられ、お世話になった。私の世のため人のための活動分野の第一は恩返しのつもりの教育分野である。母校の支援が中心である。母校の後輩の奨学金支援も考えたが、孫悟空の毛のごとく立派な先生が輩出するのを応援する方が個々の後輩学生の支援より成果が大きく、長続きすると考えて、故郷徳島の小中学校の先生表彰事業のスポンサーを務めたりしている。
私に政治家志望を諦めさせた小学校の先生、田舎の中学生に井の中の蛙とならず広く外国への関心を刺激してくれた中学校の先生、“お前はものになる”といつも励ましてくださった校長先生、勉強の仕方・世界観・考え方のヒントをいただいた大学時代の教授達、立派な先生達は将にわが人生の師である。また、先日お会いした海軍兵学校出身の高校時代の恩師は「我々学徒出陣世代は、焼け野原、人心荒廃の日本を再興するには教育以外にない、教師となって次の世代の活躍に期待するのだと決心していた」といわれた。多くの教え子はこの先生の誠心誠意の薫陶を受け、60年以上前の教えを忘れていない。“でもしか”先生ではだめだ。願わくは今の子供たちも立派な先生に鍛えてもらい日本の未来を輝かせてほしい。これが教育分野を選んだ理由である。

第二の分野は日中両国の民間交流の応援である。
個人的にも私は大学入学の60年以前から中国と日本の関係に関心が深く仕事でも多くのかかわりを経験した。

その時々の両国政府間の関係はさまざまであるが、民間の草の根ベースのお互いをよく知り合うという活動の応援を続けたい。

私は格別の親中派でもなければ、嫌中派でもない。仕事上では70国ぐらいを訪問した。回数の多いのはアメリカ、ソ連・ロシア、ドイツ、中国、アジア・欧州諸国である。それでも、世界や日本にとって日中両国民がお互いに相手をよく知り合うことは今非常に重要だと思う。
2014年資本主義の実体験がない中国の民間企業家・ビジネスマン・学生を対象に上海で「聚変」という中国語の本を出版した。教師・反面教師として我々の経験を参考にしてほしいと考えたからだ。

孫さんという素晴らしい在日中国人と出会い、彼女の「和華」という雑誌を通じた民間交流事業にも関心を寄せている。
両国政府と関係なくこの仕事が続くと良いなと念願している。

以下続く

---------以下中文---------

1月2日发给安崎会长的贺年电子邮件想不到竟是一块能连引好几块玉的抛砖......今天也加油搬过来一块。

--- 「余生三等分主义之1 为世界为他人的活动(续1)~对教育以及中日交流的支援活动

续前文)之后,承蒙许多老师的殷切教诲与关照,我度过了小学、中学、高中、大学时代。可以说是教育成就了我,因此我将报恩教育事业定于为世界为他人活动分野之首位,中心内容则是对母校的支援。最初曾考虑过以母校后辈为对象的奖学金支援活动,但是仔细想想,若是换个支援方式,能促进拥有如孙悟空毫毛那般神通广大本领优秀教师的层出不穷,不是比支援一个一个后辈学生能取得更大的成果并更能长久吗?如此考虑,我便把赞助的对象放在对故乡德岛小中学教师的表彰事业上。
忘不了那位断了我成为政治家念头的小学老师、那位教导我不甘做井底之蛙并激发我对外国关心的中学老师、那位总勉励我“你一定会大有作为”的校长先生、还有教会我学习方法并在世界观以及思维方式的形成过程中给我启示的大学时代的教授们,这些优秀的教师无疑都是我人生之师。前些日子当我与一位出身于海军兵学校的高中时代恩师相见时,他说:“在那个轮到我们的学徒出阵的时代,他们面临的像是一片被野火烧光的荒野,当时我想能让人心荒废的日本再兴,除了教育已无他物,因此便决心成为一名育人的教师,期待看到学子一辈大显身手”。受过这位老师诚心诚意熏陶的众多学子都没忘怀他60多年前的教诲。他与那些仅把教师当成饭碗而成为教师之辈相比,有着天壤之别。衷心希望今天的孩子们也能师从优秀的老师,锤炼成才,开创光辉的未来。这便是我选择了教育分野的理由。
第二分野是对日中两国民间交流的支援。就我个人而言,我从60年前进入大学时便非常关注中日关系,之后的工作也在中日之间经历了摸爬滚打。虽然那时两国政府间关系变幻莫测,但我始终情愿站在民间草根立场,坚持支援以深化两国相互理解为目的的交流活动。想说明一点,我算不上特别的亲中派,也非嫌中派。我因工作访问过大约70个国家。访问次数最多的有美国、苏联・俄罗斯、德国、中国等亚欧各国。尽管如此,我至今依然认为对世界及日本而言,增进中日两国人民的相互理解极其重要。2014年我以没有实际体验过资本主义的中国民间企业家、商界人士以及学生为读者层,在上海出版了中文著作「聚変」。我希望我们的经验能作为正反面教材对他们具有参考价值,这个念头促成了这本书的诞生。
我还结识了一名优秀的孙姓在日中国人,关注着她通过杂志「和华」展开的民间交流事业,希望这项工作能不受两国政府关系的影响,坚持不懈,长盛不衰。
待续

2016年1月4日月曜日

安崎会長より~今年も「余生三等分主義を貫きます」


新年、明けましておめでとうございます!


昨年本研究会と交流があった方々に謹んで、新年のご挨拶を申し上げます。 皆様方には、健やかに新春をお迎えのことと、心からお慶び申し上げます。 2016年は皆さまにとってさらなる飛躍の年となるようお祈りいたします。

先日、本研究会安崎会長へ年賀メール送付とともに今年の抱負をお伺いしたら、素早くご返信いただきましたので、下記の通り掲載させていただきます。
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日本語を読む --- 今年の抱負、「私の余生三等分主義を貫きます」

明けましておめでとうございます。
今年の抱負、「私の余生三等分主義を貫きます。

もともとは引退後、現役諸君の邪魔にならぬよう、住友2代総理事伊庭貞剛のいう”事業の進歩発展に最も害をなすものは青年の過失に非ずして、老人の跋扈である」に思いをいたし決心したことである。
つまり過去とは一区切りをつけて、楽しい余生を送ろうと決意して生まれた私の余生三等分主義である。

これは、自分の時間・エネルギー・資金を
1.世のため人のため、 2.家族のため、 3.自分自身のために三等分して
後輩・若者の邪魔にならぬよう心して余生を送るという主義である。

社会から離れすぎては間抜け老人になってしまう。だが、過去の自分に捕らわれすぎて余計な口出しをするならば、後輩に任せた引退の意味がない。社会とのかかわりを過去の会社経営から離れ、NPO的に自分の特徴を活かし世のため人のための活動とする。

私の場合はこれを日中両国国民の相互理解促進と故郷徳島への恩返し、若者の教育支援を中心としたのである。

また次回に続くので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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新年快乐!
谨向去年与本研究会有过交流活动的各位致以新年的问候,恭祝新春愉快!祝福大家在2016年里取得飞跃性的发展。

先日给本研究会安崎会长发送贺年电子邮件时,试着问了问他今年有何抱负,很快就收到了回复,特此公布如下。

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-----中文 ----- 今年的抱负为,「贯彻我的余生三等分主义」


新年快乐!
今年的抱负为,「贯彻我的余生三等分主义」
先说说这个抱负的由来,我在隐退后想,如何才能做到不成为阻碍现役诸君的障碍呢?我想起住友2代总理事伊庭貞剛说过的一句话: “对于事业的进步与发展,最大的妨碍不是青年的过失,而是老人的跋扈」,这句话引起我的共鸣,于是从那时起便给自己定下了这个抱负。
换言之,决心将自己的过去到隐退为止告一段落,画一界限,从此愉快地度过余生,在这一刻诞生的便是我的余生三等分主义。
具体一点说,就是把自己的时间,精力以及资金分为三等分,用途也分为三等分:
1. 为世界 2.为家人 3.为自己
提醒自己注意不要成为后辈和年轻人的妨碍,以此为原则度过余生之主义。

虽说隐退后过于与社会脱节,会变成个糊涂老头儿。但是,如果把自己的过去太当回事,事事都忍不住妄议一番,那么让后辈接班自己隐退就完全失去意义了。通过综合考虑隐退后的自己与社会的关联,就是从过去的公司经营这个套子里解脱出来, 以NPO方式展开一些于世于人有用的活动。
于我,这些于世于人有用的活动主要包括促进日中两国国民的相互理解,报恩故乡德岛,支援青年人的教育工作。
待续。今年也请多多关照。

2015年2月12日木曜日

今年も続く余生三等分主義

昨年秋発売の「聚変」第一刷が完売したという知らせが来た。
機械、経営の硬い本だが、編集者、友人の宣伝推薦などが売れ行きを後押ししてくれたようだ。
中国の経済人のなかでは小松の活動の歴史は有名だ。また中国の同業の建機業界では若い頃の安崎部長ー社長ではなくー(中国の部長は日本語では大臣だ)は何度も訪中し知り合いも多く有名だった。
上海で11月に講演した時に現地の雑誌新聞が出版を紹介してくれたことも売れ行きを助けてくれた。
APECの会議で日中首脳が硬い表情ながら握手した時にちょうど売り出されたというタイミングもよかった。

このあとはどうなるかわからない。二冊目の本を出そうと編集者は計画している。今度は経営や機械のことではなく柔らかい分野にしようと提案されている。

引退後の私は余生三等分主義で暮らしている。時間・エネルギーなどを、1. 世のため人のため、2. 家族友人、3. 自分自身に三等分するのだ。
そう暇を持て余している訳ではない。中国での活動は中国の若い人の教師・反面教師になるという第一のカテゴリーに属する。彼らの興味を引くような柔らかい分野の面白い話が私に出来るかどうか今自己評価をしているところだ。

-------以下注ゴック語--------

近来被告知,去秋发售的「聚変」第一版已经售罄。
这是一本以机械,经营为题,读来不太轻松的书,得以顺利销售首先要归功于编辑者以及友人们的宣传推荐活动。
其次在中国的经济界人士中,小松的发展历史堪称有名也是要因之一。此外,也因年轻时尚不是社长的安崎部长(日中部长一词意思有所不同,日语意为公司里的职位,中国的部长一词却相当于日本的大臣)曾多次访中,在中国同行的机械行里结交广泛,其中不乏有名之辈。
还有一些其他因素,比如去年11月在上海讲演时当地杂志报刊的介绍,APEC会议上日中首脑碰面时虽说表情僵硬却也握了手,那时书的销售正好开始兴许也是个不错的时机。

今后如何还不得而知。有关第二本书的计划,编辑者建议撇开经营和机械,选择一些读来轻松点的话题。

我自引退后就把余生的生活分成了三等分,既是把时间・精力等分别用于: 1.世界和他人 2. 家族和朋友  3. 自己。
这并非消磨时光的游戏。将中文书在中国出版发行,是希望其能成为中国年轻人的正反面教材,我将这项活动划归上述三等分生活的第1项里。
能否写些让他们感兴趣的轻松话题呢,这是我目前思量中的事情。

2014年9月15日月曜日

京劇観賞~“十三妹~児女英雄伝”

 本研究会安崎暁会長が9月13日の京劇を見に行った経緯を含む随筆を書いたのですが、このグローバル企業発展研究会サイトに京劇観賞ブログを載せて良いのかを安崎会長のご意見を伺いますと、OKに加えて下記の通りご感想をいただきました。
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今から60年近く前、大学二年の頃、中国語学習のテキストで児女英雄伝を読んだ。この十三妹が京劇で見られると聞き、行ってきた。イタリアやロシアのオペラを本場でみると、耳からの言葉が分からずに感激はするものの、イマイチ。これを日本公演でみると字幕が付いてストーリーがわかり、面白い。梅蘭芳という名優がいた時代、本場での京劇を見たが、私の中国語では、歌やセリフがわからず、ヨーロッパでオペラを鑑賞するのと同じだった。オペラは日本で見るのが一番。歌舞伎は英語のわかる人用にイヤフォンで聞ける。英語の他のイヤフォンはあるのかな?日本で字幕付きの京劇を見て”十三妹”の筋書きを60年ぶりに思い出して楽しかった。
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引き続きレポーターの京劇観劇随筆も掲載させていただきます。

9月13日18時半から21時までに、本研究会安崎暁会長は私がご案内した東京新潮劇院上演の京劇「十三妹~児女英雄伝」を鑑賞しました。

まずなぜ安崎会長へ経済と関係なさそうな京劇上演をご案内したかというと、去る8月16日に安崎会長は上海書展で新書「聚变」の発表会を行い、翌日から2日間江西省の景徳鎮や三国周瑜の点将台「煙水亭」観光に行きました。この本の出版までの編訳業務に携わったメンバーの一人として私も同行させていただきました。観光途中で、三国のお話だけではなく、京劇を含む様々な中国文化も話題になりました。私も日本で中国の京劇を是非一度見てみようと思い、日本に戻ってきたら、日中民間交流誌「和華」が6月28日に主催した三国交流会で安崎会長と一緒にパネリストを務めた明治大学教授加藤徹先生にご確認すると、今回の京劇演出案内を頂きました。さっそく私のFacebookにシェアするとともに、Facebookをやらない安崎会長へメールでご案内したら、見に行けるとご返信を頂きました。

こうやってグローバル企業発展研究と京劇は無理やりもなく自然な形に結び付いたのです。通常無関連に見える物事や人物は、何らかのきっかけで結び付いて同じことを楽しめるようになり世界も小さく温かくなります。


さて、本題に戻りましょう。当日は劇院満席でした。日本語の字幕あるのを知らないから、私の左席にお座りになった安崎会長が後ほど聞いて分らなれればつまらなくて眠るじゃないかと心配しながら、右側に座っている孫秀蓮さんへご挨拶にくる「和華」の投稿者や協力者数名の顔が見えました。

京劇が正式に開始する前に、加藤先生は京劇について簡単なレクチャーをやりました。米米CLUB人気メンバーのジェームス小野田様が演じる強盗の妻役の恰好のままで落語や一人漫才風なレクチャーは満席劇場から笑いを誘いました。

その後、安秀才や十三妹などの役者が続々見得を切って素晴らしい節回しや演技で満席の劇場のあちらこちらから喝采や拍手を博した。まじめな武侠劇ですが、中国語と日本語で一問一答で、小品や漫才風で聴衆の笑いを誘うシーンが多くありました。 特に、強盗を演じる米米CLUB人気メンバーのジェームス小野田様と妻役を演じる加藤先生のペアは、格段に中国の小品や漫才風だから爆笑しないように我慢しました。本当にまじめな講壇に立つ中国研究家・作家・明治大学教授なのか?と思うぐらいに多才な加藤先生のご演技にびっくりしながら終始楽しんでました。落語や漫才へ転身しても良いかと思いました。

演出が終わり、出口周りで聴衆を見送る役者達は大勢の聴衆に囲まれて記念写真を撮られました。 安崎会長にご感想はとお伺いますと、笑いながら面白かったと、私が最初心配したのが杞憂に過ぎなくてほっとしました。
十三妹役者との写真



-----以下中文----


我写了篇本研究会安崎晓会长9月13日去看京剧的随笔,其中包含了去看京剧的缘由,不过却犹豫将它放在研究会博客上是否合适?于是发邮件征询安崎会长的意见,他不仅同意,还发来了自己的感想:
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大约60年前大学二年级的时候,我曾把儿女英雄传当作中文学习教材阅读过。因此得知有京剧十三妹可看,就去了。在意大利和俄罗斯剧场看歌舞虽然感人,不过由于听不懂唱词总有些不过瘾之感。这次看的在日公演的京剧因有字幕所以感觉很有意思。京剧名家梅兰芳出演的时代我也曾去京剧院看过京剧,不过也因我中文不足以听懂歌词和台词而不尽如意。因此觉得歌剧还是要在日本看最好。比如歌舞伎剧院为英语听众提供能收听英语的耳机。不知是否还提供能听英語以外的耳机?这次在日本欣赏附有字幕的京剧,想起了60年前看过的”十三妹”的剧情,感觉非常愉快。

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接下来放上我写的京剧欣赏随笔。

9月13日18点半到21点,本研究会安崎晓会长去欣赏了我提前给他演出信息的东京新潮剧院演出的京剧「十三妹~儿女英雄传」。

首先我为何给安崎会长提供了与经济无关的京剧演出信息呢?这得从上月的上海书展活动说起。 8月16日安崎会长出席了在上海书展上举办的新书「聚变」的发表会。第2,3天去了江西省景德镇和三国周瑜的点将台「煙水亭」观光。作为这本书编翻成员之一的我也受邀一路随同。在观光途中,我们不仅谈及了三国,还谈及了包括京剧在内的多种多样的中国文化。我也很想看看在日本的中国京剧表演,所以回日本后向曾在日中民間交流杂志「和华」于6月28日主办的三国交流会上与安崎会长同登嘉宾论坛的明治大学教授加藤徹先生索问京剧演出信息,加藤先生给了我本次京剧演出消息。我立即将此消息分享在我的Facebook上,同时用邮件发给了不使用Facebook的安崎会长,得到了他那天有空去看京剧的回复。

如此这般,跨国企业发展研究会和京剧没费什么周折便自然而然地产生了关联。可见通常看似风马牛不相关的事物和人物,只要有个什么契机就有可能欢聚一堂了,世界也由此而变小变暖了。

闲话少提。当天的剧院座无虚席。因为不知道会有日语字幕,我一边担心左边坐着的安崎会长在京剧开演后听不懂唱词而无聊睡着,一边注意到向坐在我右側的孫秀蓮桑打招呼的几位「和华」投稿者和协力者似曾相识的面孔。

京剧正式开始前是加藤先生关于京剧的简单讲座。他以“米米CLUB”人气成员ジェームス小野田扮演的強盗之妻的装扮出场,进行了一场富有落語以及一人相声风格的讲座,赢来满场笑声。

其后京剧开始,安秀才和十三妹等等演员接连出场亮相,以精彩的唱腔和演技赢来剧场各处此起彼伏的喝彩和鼓掌声。在正儿八经的武侠剧演出中,时时出现了用中文和日语一问一答的小品和相声风格的场面,让来客门忍俊不禁。

特别是扮演強盗的米米CLUB人气成员ジェームス小野田与扮演其妻的加藤先生,二人搭档的演出尤其像极了中国的小品和相声,我是极力控制才没有爆笑出来。我甚至想,加藤先生真是个平日站在庄严讲坛上的中国研究家・作家・明治大学教授吗?感叹着多才多艺加藤先生演技的我愉快地看完了京剧,觉得他似乎转职落語家或者相声演员也未尝不可。

演出结束后,在出口处送别来客的演员们被众多来客团团围住拍照留念。 我问了安崎会长的感想,他笑着说很有意思,我得知自己最初的担忧只是杞人忧天而松了口气。