2013年8月22日木曜日

安崎暁の非公式経歴 ‐ 安崎晓的一些没有记入正式简历里的经历

安崎暁グローバル企業発展研究会会長の安崎 暁です。
先日一回目のブログをご注目、ご応援いただきありがとうございました。

今日は、先日予告しました通り、私の非公式経歴を少しお喋りしたいと思います。

私は1937年生まれ、2013年現在76歳の元小松製作所社長、CEO。

好きな言葉は、”新陳代謝”、”忘己利他”、”苦進楽慎”。もうすぐ棺桶入りの年齢になったが、自分という人間の一生は、成功も失敗も紙一重の瞬間、どちらに転ぶかわからない微妙な転機の連続であったと感じます。これから何回かに分けてこれら瞬間の思い出をお話ししましょう。

1.10歳のころ


第2次世界大戦終了の直後、父親不在の一家5人が、食うや食わずの困窮の生活。それでも母親の楽観主義と親戚・学校の先生の支援で貧乏を苦にせず元気に暮らしていた。

女の先生に将来どんな仕事をやりたいかと聞かれた。さしたる考えもなく、政治家、外交官、と答えた。先生曰く、貴方は指導力が足りないから政治家は無理とのコメント。

これに反発したのか、ある日この先生の授業の時、クラスの男子同級生をそそのかして、授業中に教室から抜け出し近くの遊園地に集団で遊びに出掛けた。大騒動になった子ども版のストライキ。先生に指導力なしと烙印を押されたのに反抗した単なるいたずらだった。

50年以上たった同窓会でこの事件を覚えていた同級生曰く、おまえはうまく逃げ帰ったが、俺は男の先生につかまり大いに絞られたと。

2.中国とのかかわり


15歳位の時大衆小説家 吉川 英治の三国志、宮本武蔵、太閤記を読んだ。子供にも読みやすい本だった。中国にも多くの三国志があるが、日本でも古来各種の三国志がある。私がその後読んだ三国志は、羅漢中演義の翻訳版、陳舜臣・北方謙三・宮城谷昌光・伴野朗・安野光雅(絵本)のほか解説も数多い。それぞれ人物像が著者により異なる。最初に読んだ吉川本の影響で初めは諸葛孔明の知謀に感嘆したが、後に曹操、超雲にも興味をひかれるようになった。

高校生のころ李白、杜甫、白居易などの詩に触れて、漢文の授業が楽しみだった。
一橋大学では歴史、哲学、経済学を学び弓道部に属したが、英語の次の第2外国語は自然に中国語を選択した。

共産党中国政権が1949年に成立して間もなく当時の一般学生は中国への関心の度は薄かった。1学年750人の小さな大学だが、大半の学生はドイツ語、フランス語、スペイン語を第2外国語として選び、ロシア語を選択した学生は10人、中国語は6人と少なかった。東亜同文書院出身の熊野正平教授と中国人の2人の先生に教わりながら紅楼夢を読んだり人民公社・文化大革命などの最新報道の中身が理解できず首をかしげていたりであった。

学者を志すか、会社勤めをするか迷いながら学士入学をして社会学部と経済学部を卒業した。
結局学者を志す根性が足りず、実業の世界を選び、建設機械の小松製作所に入社した。
中国と関わりのある業種会社を選んだことに迷いはなかった。

当時私の選択の範囲は、鉄鋼、農機、建機、化学、海運、銀行、商社など。コマツにしたのは偶然の選択。先輩の国際貿易促進協会長 村田省蔵さんは1950年後半の当時”いずれ日本と中国との関係は飛躍的に発展する、学生は今から中国に関心を持て”と良く話しておられた。

会社に入ったばかりのころは、社長になるとは思っていなかったが、北京事務所長に早くなりたいと念願していた。(続く)

最後までお読みいただきありがとうございました。

-----以下中国語-----

我是安崎晓跨国企业发展研究会会长安崎 晓。
谢谢大家对我几天前第一篇博文的关注和声援。

按照第一篇博文预告,今天我将谈谈我的一些没有记入正式简历里的经历。

我于1937年出生,到2013年至今76岁,曾任小松制作所的总经理、CEO。

我喜欢的话有”新陳代謝”、”忘己利他”、”苦進楽慎”。现到了行将就木的年龄,回顾自己走过的人生之路,感觉成功与失败往往与我如影相随,甚至有过许许多多这二者仅仅差之毫厘,稍有不慎就会在哪儿摔个跟斗的瞬间,我感觉自己的人生就由这样的瞬间串联而成。接下来我就分几次说说这些瞬间的回忆。

1.10岁左右的时候


在第2次世界大战刚刚结束后,父亲不在家,一家5口人过着吃了上顿没有下顿的贫困生活。尽管如此,多亏乐观主义性格的母亲以及亲戚・学校老师的援助,我们没有以贫穷为苦,却过着乐道安贫的日子。
有位女老师曾经问过我将来想做什么工作。我不加思考就回答想做政治家,外交官。老师却说,你指导能力不足,当不了政治家。
似乎是反抗老师的说法,有一天遇这位老师的授课时,我鼓捣班里的男同学们,在她授课中离开教室到附近的游园地结队玩耍。那真是一场小孩子闹翻天的罢课运动。是针对老师给我打上没有指导能力烙印的反抗性的恶作剧。
在50年后的一次同窗会上,有个还记得这件事的同学说,你倒跑得快,我却被一个男老师抓住,被好一顿教训。

2.与中国的关系


在15岁左右的时候我读了大众小说家吉川 英治的三国志、宫本武藏以及太阁记。这些书对于孩子们来说也易于阅读。中国有许多版本的三国志,在日本从古自今也有各种版本的三国志。我那之后读的三国志,是罗贯中演义的翻译版,陳舜臣・北方謙三・宮城谷昌光・伴野朗・安野光雅(画册)等版本,解说也很多。各个版本所描写的人物形象也因作者不同而有所不同。受最初阅读的吉川版本的影响,我对诸葛孔明的足智多谋赞叹不已,但后来又对曹操,赵云产生了兴趣。
在高中时代,我接触了李白、杜甫、白居易等人的诗,上汉文课成了我的乐趣。
在一桥大学,我学习历史、哲学、经济学,还加入了剑术部,在选修外语课程时,继英语之外我自然而然就选择了中文为我的第二外语。当时共产党的中国政权于1949年成立后不久,一般学生对中国的关心度还很薄。那时大学的规模尚小,1个年级仅750人,大部分学生都选择德语,法语,西班牙语为自己的第二外语,选择俄语的学生10人,选择中文的只有6人。我一边求教于出身于东亚同文书院的熊野正平教授和2位中国人老师,一边阅读红楼梦,对人民公社・文化大革命等最新报道的内容却是难于理解,觉得不可思议。
对于自己是立志成为学者,还是进入公司就职呢,我在迷惘中进修了学士课程,从社会学部以及经济学部毕了业。
结果,由于成为学者的斗志不足而选择了实业的世界,进入了建设机械业的小松制作所。不过,在选择和中国有关行业的公司这点上我却没有过迷茫。
当时我选择的范围包括钢铁,农业,建设机械,化学,海运,银行,商社等等,小松是一个偶然的选择。我的前辈,国际贸易促进协会会长村田省藏先生在1950年后期曾说“日本和中国的关系迟早会有飞跃性的发展,学生们从今需要关注中国”。
我刚刚进入公司的时候,并没有想到成为总经理,而是一门心思想早日成为北京事务所的所长。(续)

谢谢您一直读完本文。

1 件のコメント:

  1. Facebookに書き込んだコメントをここに転記する。
    10歳頃のいたずらエピソードはとても面白いです。幼少期を研究している心理学者の観点によると、恥や攻撃の辛さに対し、ほとんとの人は次の三つのいずれかの方法で対処しようとします。1、隠す、痛みから遠ざかろうとする。2、人を喜ばせる、痛みを消そうとする。3、恥や攻撃をもって恥や攻撃に対抗する、痛みには向かおうとする。どの「戦略」を選ぶにせよ、生涯その「戦略」を使い続ける可能性が高いです。
    まさにその通りです。安崎先生は小松で働いていらっしゃる時、いろんな局面で対抗意識が強い、負けず嫌いという生まれつきの性格が現れたのでしょうか。
    また、人格形成において最も重要な時期ー思春期 の頃、異なる解説版の三国志に冒頭したということにとても感心します。この時期に受ける文化的刺激が人生に大きな影響を与えたのではないでしょうか。
    中国との縁が切れず、今でも中国民間企業と自分の経験をシェアしたり、考え方を議論したりという活動をなさっています。中国人である私たちは大いに尊敬します。

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