2013年10月16日水曜日

多様性の認容、独自性の維持(続2)-多様性的包容、独自性的維持(続2)

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 前文で海外トップ人事についての失敗・成功事例を3つ挙げたが、もう少し詳しく出来ないのかというご要望があったので、前回と重複する部分があるのですが、この話をもう一度詳しくしよう。

 コマツは、海外トップ人事に、その地のローカル人を起用する方針を日本企業としては、早い時期から実行してきた。グローバル企業として現地の社会、顧客、社員の支持を得る上で、重要なポイントと確信していたからだ。
 本部で決めたことを疑問を持たずに忠実に各地域で実行せよというのでは、本部と各地の拠点との関係は、主従の如き間柄になってしまう。一見、強力な統制下にある立派な組織のようにも思えるが、市場密着、創意工夫を旨とする民間のグローバル企業には不適当だ。政府機関の本部、出先の関係なら時に認められるかもしれないが、民間企業でこの真似をしていたら、競争に勝ち、発展を続けることは難しかろう。先ず第一に良いローカル社員の採用は困難となる。現地の事情を無視することが起きやすい。

 理屈はそうだが、実務上は、相当の辛抱、工夫が必要となる。失敗、成功、試行錯誤の連続であった。地域または国別に、失敗、成功の例をいくつか思い出してみよう。

A.欧州



 30年ほど前の欧州統括会社(金融、マーケティング)の日本人社長の後任を欧州人にローカル化しようと計画した。ヘッドハンター専門会社に候補をさがしてもらった。SPECにあう数人の内3人を同僚と共に面接し、異業種のドイツ人マーケテイング担当役員を採用した。新社長は欧州事業は自分に任せろと自信満々に新方策の実行を始めた。日本から余計な口出しはするな、欧州多国籍社員(フランス、UK、イタリー、ベルギ―など)との意思疎通には無頓着、周囲から孤立しやむを得ず手切れ金を払って辞めてもらった。
人選の失敗といえばそれまでだが、欧州全体の中での独、仏、伊、西、英の社員間の微妙な関係といきなり外部からNO.1を持ってくるリスクに気づかされた その後、欧州統括会社は金融を別会社としベルギー人社員からの昇格、マーケテイングは日本人社長(欧州社員にとって日本人社長の方が安心)として現在に至っている。

 欧州ではトップ人事のローカル化成功例もあった。
 UK生産法人のトップは2代目の社長から英人でこの英人社長は、欧州同業他社からも信頼され、30年前に日本の現地法人として始めて欧州同業の建設機械工業会の会長を務めました。
 ドイツ法人は初代からドイツ人を選び成功している。この事例はすでに前文で詳しく述べた。

B.アメリカ



 アメリカの現地人トップは更に難しい。欧州と同じのやり方だと、良い人はとても採用できない。初めからトップが条件だ。
 大企業との合弁、その後の買収100%化の過程で苦労はしたが、合弁相手から優秀な人材を確保できたのは有難かった。日本企業の100%現地会社で採用できるクラスより格上の人材が貴重な経営資源となっている。
 コマツの工夫は、CEOとCOOをアメリカ人と日本人合議のチェアマンズ・オフィスとして協議をつくすこと。更に別に始めた欧米アジアの有識者からなるインタナショナル・アドヴァイザリー・ボード(IAB)に海外経営の実態を包み隠さず開示して助言をうることだ。100%会社後も優秀な人材が残ってくれたのは、会社の経営姿勢、方針をIABにかれらも同席して議論に参加する過程で理解を深めることができたという事情によることが大きい。(続き)

---以下中文版---

谢谢各位对我博文的关注和声援。敬请继续支持我。

  关于我在前文列举的几个海外高层人事方面的失败和成功事例,有读者询问能否讲得更详细点,因此虽然与前文有所重复的内容,我还是决定今天再次具体地进行这个话题。

  比较其他日本企业,小松更早开始实施高层人事现地化的方针。因为小松确信,作为一个全球化企业这么做在获得现地社会,顾客以及员工的支持方面极其重要。如果要求各地毫无疑问地忠实地执行总公司的决定,那么总公司和各地据点就成了主从关系。这看似在强力管控下的一种出色的组织,却并不适用于以市场主导型,创意功夫为宗旨的民间全球化企业。若是政府机构的本部与驻外机构之间,这种关系也未尝不可,而民间企业也照此行事,则难于在竞争中以及寻求持续发展中取胜。首先会遭遇采用不到优秀的现地员工的难题。其次是公司里容易滋生出无视现地实际情况的风气。

  这个道理说来容易,然而在实际工作中则需要付出相当大的耐心及努力。小松在这方面也有过许许多多的成功,失败以及试行错误。

  以下就涉入记忆的长河,举出几个在不同区域或者国家里失败和成功的例子。

A.欧洲



  30年前,我们计划选用现地人才接任一家欧洲统括公司(金融,市场营销)的日本人总经理之位。为此我们开始通过专业猎头公司寻找候补人选,在几个符合条件的人选里挑出3人,我和同僚们一起面接他们,最后采用了拥有不同行业市场营销干部经历的一个德国人。这位新任总经理信心百倍地表示欧洲事业就交给他好了,并开始实行新的方针策略。然而希望日本不要指手划脚干预的他,却梳理不清与多国籍员工(法国,英国,意大利,比利时等等)之间的沟通工作,陷入孤立无助难以展开工作的困境,以至于我们被迫支付抚恤金并解雇了他。
  如果仅谈人选失败,话就到此结束了,但是这件事让我领悟到了更多的东西,就是在欧洲国家中德国,法国,意大利,西班牙,英国员工之间的微妙关系以及突然采用外部人员为公司头号人物的危险性。
  之后我们把欧洲统括公司的金融事业独立出去另立公司,升级任用了比利时籍员工,市场营销由日本人总经理负责(欧洲员工对日本人担任总经理更为放心),至今如此。

  不过在欧洲选用现地人为总经理也有成功的例子。
  英国生产法人的头号人物,从第2代开始我们选用了英国人。这位英国人总经理深受欧洲同行业其他公司的信赖,30年前首开先例,代表日本在欧洲的现地法人出任过欧洲同行业建设机械工业会的会长。
  德国现地法人从第1代就选用德国人并获得了成功,这在前文中已经详细叙述。

B.美国



  小松在美国的现地高层人事更难。若用与欧洲相同的方式,那么要想采用优秀的人才则非常困难。优秀的应聘者一开始就冲着第一把交椅的位置而来。
小松虽然最初在与大企业的合并以及其后100%的收购事业中历尽了艰难险阻,却难能可贵地从合并方获取确保了优秀的人才。这次获得的人才水平高于日本企业100%的现地公司通常能采用到的人才水平,成为了公司贵重的经营资源。

  小松在高层人事方面所下的功夫在于,最高经营责任者(CEO)和最高执行责任者(COO)由美国人和日本人共同参议的会长室协议诞生。进而,我们还发起成立了由欧美亚的有识之士组成的国际顾问研讨会(IAB-International Adviser Board),在研讨会上毫不隐瞒地公布海外经营的实态并寻求建议。优秀的人才在公司成为100%子公司后也能留下来,我认为其要因在于,我们让这些优秀人才出席IAB参与对公司的经营姿态,方针的讨论,让他们在这个过程中加深了理解。(续)

3 件のコメント:

  1. 中国の土匪は抗戦の大黒柱である!
    満州事変で侵略行為を本格化させ、その後日中両国が天地を震動させるような全面戦争に突入した。この戦争は14年間も続いたが、中国では偉大な抗日戦争と呼ばれ、日本では侵略戦争と呼ばれ、世界中は日中第二次大戦と呼ばれる。
    この日中大戦は結局中国側の惨勝で終結。だが、この戦争に参加し日本の帝国主義侵略者を戦った勢力は沢山あったので、抗戦の主力は誰だという歴史的な疑問は生じて来た。ではここで一体誰が抗戦の主力かをお話ししよう!
    抗戦の主力は国民党だと思う人もいるし、共産党だと思う人もいる。でも、私は抗戦の主力が全然この外モンゴルが独立であると承認する党派ではないと思っている。それは中国の土匪である!この中国現地生まれのずっと軽蔑の目で見られている職業である。
    土匪という職業が神秘であるが不案内でもなく、甚だしきに至っては、馴染みの感じもある。それは中国で土匪が千年の匪害と呼ばれるからである。中国の土匪が一体何年生存してきたかがそれで分かる!
    まずは、満州事変開始以降、中国の東北軍及び国民革命軍が相次いで東北から撤退した。共産党でも盧溝橋事変の前に中国の東北で日本侵略者を反撃している人馬が少量しかない。且つ其の二党派は相次いでひそかに日本人に妥協して、如何に日本人の力を利用し自分の実力を壮大するかを相談したばかりであった。それに疫病神で仇をとることと国共矛盾を作ることも考えていた!
    盧溝橋事変以降、国共両党が表向きに二回目の協力を開始したけれども、其の二党派の摩擦はまだ続いていて、衝突がエスカレートしていた。それに、毎度の摩擦が完了後、国共両党は必ず無数の口実を作って、自分を粉飾し、相手を汚す!
    抗戦完了後でも、国共両党がまだ抗日の決心なんで全然見えなかった。両党とも日本降伏の際に機会に乗じて地盤を拡充し、傀儡軍を収容して改編し、銃や砲弾を奪ったなど批判され、恥ずかしめ笑われることばかりをした。
    だが、中国の土匪ならそんなようなことは全然しなかった。満州事変以降、中国の土匪は間違いなく抗戦の大黒柱となって、甚だしきに至っては大勢な国共両党の部隊が日本皇軍に敗戦した後もやむなく土匪になって、土匪と同じことをして、同じ物を食べて、同じ物を飲んでいた。名分上は土匪ではない以外、全ては土匪と同様になった。
    また、誰でも共産党のゲリラ戦はどんなに素晴らしいだろうと思っているが、実に共産党のゲリラ戦も土匪から学んだもので、共産党が創始したわけではないことは殆ど誰でも知らないと思うが、中国共産党が中華ソビエト政権を創建したまでも土匪を学んだのである。さもなくば、中国共産党は中国で中国を打ち立てられない。その故、ここでは「中国土匪が国を打ち立てる」腕も功績を消えられないほどである。
    満州事変、それで盧溝橋事変が全面的に爆発されて以降から、抗戦完了まで、共産党の人数は数十人から三百万軍の政党になったが、国民党も北伐時期の百万人から八百万人の政党になったにもかかわらず、共産党も国民党も抗戦完了までの軍隊人数はまだ千万人を超えなかった。但し、中国の土匪なら大違い、中国の土匪は千年の歴史もあって、「千年の匪害」と呼ばれ、*時期まで少なくとも二千万以上の数になった。人数だけでも中国抗戦時期の主力は誰だとすぐに判るのであろう!
    そして寝返る人数から見ると、抗戦時期では国共両党が高層から下層まで無数な幹部同志が寝返ったが、中国軍隊の寝返った部隊は二百万まで多くあった。但し、中国土匪の中、寝返った人数は極めて少なかった。つまり、売国奴になった土匪の数はごく少なかった。
    そして売国奴の破壊力から見ると、国民党の戦闘力はとてもごみであることは推して知るべし。共産党の破壊力は強いだけども、実力を保存するためにわざと日本人と大規模な作戦を避けた。但し、土匪なら全然違う。中国の土匪は殆ど寝返らないとは言え、一旦寝返ったら破壊力は極めて強くて、城門が火事になれば、災いが魚に及ぶほどひどい。これは国共両党の売国奴が足元にも寄れないことである。
    更に、中国国民党共産党と土匪の純粋性から見ると、国民党の前身は同盟会であって、それは日本人を頼って作り上げた組織である。共産党の背後はソ連ロシア人である。では、土匪の盾は何か?土匪は盾なんで全然いなくて、彼らは争乱によって生活し生存している!しかし、天下の争乱は土匪のせいで出たわけではなくて、各国の政府の問題で引き起こすわけであって、即ち、「官が民を反乱にかりたてる」ということである。
    武器装備を論ずると、国共両党は外国人に頼っていたので、その二党派が外国人を怒らせられなかった。でも中国の土匪なら全然恐れない、いつも外国人を怒らせて、国家のために自分の力を貢献した。最も著名な例としては日露戦争の時に日本人とロシア人に付き従わないだけではなく、常に日本人とロシア人と知恵と力の戦いをした。これらを知っている人も恐らくあまりいないであろう!
    抗戦の主力の品質を論ずると、国共両党の人馬に沢山の土匪が入り混じっていて、どれだけの土匪を収容して改編したか。ここで国共両党が抗戦と言われるが、実にどれだけの土匪が抗戦したのであろう!?土匪抗戦なら多分国共両党と何も関係ならないのであろう! 
    もし、我々が又国共両党及び中国土匪の抗戦手段を論ずると、国共両党は抗日戦争のおかげで成長したのである。日本人と癒着しても厭わなく、悪人の手先になって悪事を働き、暴力団が戦争中に生きて行けるために暴力団を保護した。それらの行為は中国人としては絶対に許せないことであって、弁解までもない事実である。
    但し、中国の土匪は暴力団と一切結託していないし、中国の土匪も暴力団と抵抗し反撃できる唯一の組織である。抗戦どころか、民国時期のような戦争のない時に、中国の暴力団が暴動しないのは正に土匪のためである。そうでないと、恐らく中国の暴力団が既に中国で大騒ぎをしたのであろう!
    中国の土匪は抗戦の主力ということは誰でも変えられない事実であって、それに誰でも否定できない歴史である。しかし、なぜ皆さんがずっと国共両党が抗戦していたばかり思っていて、中国の土匪のことを全然言わないのか。そもそも人によって見方が違うだけなのか、背後に黒幕があるのであろうか!?!

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  2. ��acebookに書き込んだコメントをここに転記する。
    欧州の事例はとても興味深い話です。 小松が30年前からローカル化を踏み出したのが日本企業の中に一歩先んじていると思います。しかも、異業種からの人にトップを任せるのは非常に大胆な行動です。 結局失敗な事例になりましたが、このような冒険的な決意の中に小松が柔軟性と多様性 を持っていることが見えてきました。この果敢さが30年後の今のグローバル企業にも求められているのではないでしょうか。異業種から転身した日本マクドナルド原田泳幸社長も話題になっています。これは正に諺にある「英雄は出身を問わず」 だと思います。
    それに、小松が柔軟性と多様性を持っていることは決して偶然ではないと思います。最初にローカルな視点からグローバルな視野に広げるのも苦労したと想像できます。そして、小松社内はこのようなハングリー精神をどうやって社員に浸透させたのかに興味を持ちました。よろしければ、紹介していただけませんか。

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    欧州の事例はとても興味深い話です。 小松が30年前からローカル化を踏み出したのが日本企業の中に一歩先んじていると思います。しかも、異業種からの人にトップを任せるのは非常に大胆な行動です。 結局失敗な事例になりましたが、このような冒険的な決意の中に小松が柔軟性と多様性 を持っていることが見えてきました。この果敢さが30年後の今のグローバル企業にも求められているのではないでしょうか。異業種から転身した日本マクドナルド原田泳幸社長も話題になっています。これは正に諺にある「英雄は出身を問わず」 だと思います。
    それに、小松が柔軟性と多様性を持っていることは決して偶然ではないと思います。最初にローカルな視点からグローバルな視野に広げるのも苦労したと想像できます。そして、小松社内はこのようなハングリー精神をどうやって社員に浸透させたのかに興味を持ちました。よろしければ、紹介していただけませんか。

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