2013年10月30日水曜日

多様性の認容、独自性の維持(続3)-多様性的包容、独自性的維持(続3)

ブログをご注目ご応援の皆様、ありがとう。先週本題を逸れWangさんからのリクエストに応じたが、まだ回答になってないため今日は「1.グローバル化とどう取り組むか」という本題の後にまた続きます。

まず全文に続き、海外トップ人事についての失敗・成功事例を紹介します。

C.中国

中国では、市場開拓、輸出、マーケティング・サービス、合作、合弁、独資等々コマツとして数十年のビジネスの歴史がある。
日本人が交代でトップを務める時代ではないと割り切り、近年コマツの多くの中国現地法人でトップが中国人となった。
最初の中国人トップは古くからいろんなポジションを経験し、中国はもちろん、日本の事情にも通じた最適任者を思い切って統括会社の総経理に登用した。これは大成功。未だ日本の会社では珍しい時期だったのでローカル社員の士気も上がった。彼は中国特有のネポテイズムを退け、彼に続く中国人社長の模範となっている。
第2世代の中国人トップは個々の事業別或いは地域別会社の経営を任され、それぞれが名社長となるよう互いに更に上を目指しての競争をしている。

以下はWangさんの質問、コマツは多様性、柔軟性、ハングリー精神をグローバル経営にどのように工夫して植えつけたか?に対する回答です。

1.1985年プラザ合意による1$240円から短期間での120円、さらには79円に至る急激な円高、1980年代後半の日本経済バブルとその崩壊、日本経済の長期停滞、その一方で進むグローバル化と言う時代背景があった。進むも地獄、退くも地獄であった。我々が手掛けたのは、企業風土の改革、コーポレート・ガバナンスの改革、それと思いきったグローバル化対策だった。

2.先ず世界各地に海外工場を建設した。100%自己資本、現地企業と合弁、M&A、その時点の天地人、資金の事情によりやり方は異なるが、短期間に多数の現地法人を立ち上げた。時間も資金も人材も足りない。社内の危機意識も不足。どう工夫したか?(続き)

今日の本題+脱線談はこの辺でおしまいにしましょう。最後までお読みありがとう。また次回ね!

---中文阅读---

谢各位对我博文的关注和声援。上周跑题回应了Wang桑的要求,不过并没有完全回答她的提问,因此今天在本题「1.如何致力于全球化事业」之后继续跑题谈。

首先继全文,继续介绍海外高层人事失败以及成功的事例。

C.中国

小松在中国建功立业的历史已长达数十年,包括市场开拓,输出,营销・服务,合作,合并,独资等等方面。
从前的高层人事采用让日本人交替出任的方式,近年来则是果敢告别这种方式,让中国现地法人的高层人事多多采用中国人才。
最初升入高层的中国人是一位很早就饱经各种职场考验,不仅了解中国而且也了解日本的人才,我们认为他是最合适的人选,就果断大胆地选用他作为统括公司的总经理并获得了大成功。这个做法对于当时的日本公司来说尚属罕见,因此还提高了现地员工的积极性。他击退了中国特有的裙带风气,成为之后其他中国人总经理的模范。
其后我们选用第2代中国人高层人员作为各个事业部门干部或者各个地域公司的经营者,他们也都力图成为有名的总经理并互相展开良性竞争。

接下来,回答Wang桑关于小松如何将多样性,柔软性,不懈追求精神根植于全球化经营里的提问。

1.1985年的广场协议引发了1美元兑240日元在短期内爆跌至120日元,继而79日元,导致了急剧的日元飙升,之后是1980年代后期日本泡沫经济的膨胀及其崩溃,日本经济的长期停滞,另外还有全球化的加速,可说是个难题不断的时代。在这样一个前进是地狱,后退也是地狱的时代,我们着手进行了企业风土改革,企业控管改革以及果敢大胆的全球化对策。

2.首先在世界各地建设海外工厂。100%的独资,与现地企业的合并,M&A等等,根据当时的天时地利人和资金等等因素,具体做法有所不同,但是在短期内设立了很多现地法人。时间,资金以及人才短缺,公司内的危机意识也不足,怎么办?(待续)

今天的本题+跑题之谈就到此为止。谢谢阅读。


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