2016年12月11日日曜日

寧波での講演レポート(3)~会社が誰のものかという視点より、誰のために存在するのか


建前が幅を利かすどこの政府も好きではないだろうが、一般庶民が好むのは中国人がよく使う、“上に政策あれば下に対策あり“というフレーズだ。本音はこれだと下々の抵抗を表している。
寧波の講演で注目されたのは、安崎 暁がコーポレートガバナンスや社会的貢献について建前でなく本音で語った部分だ。会社は誰のものかについて私の考えを話した。欧米日本の市場主義の世界では、会社は株主のものだと思われている。会社の株式の所有者が法的に株主であることには疑いの余地はない。経営者は株主のために行動しろと言われる。1995年社長になったころ、マスコミによく聞かれた。企業価値は株価で表現される。会社は株主のものでしょう。聞く記者には例外もあるが、彼らはおおむね流行の風潮を追いかける若い勉強不足の記者たちだ。私は法的な視点のほかに、倫理的、社会的な視点もあるよ。会社が誰のためにあるのか?国のため、世界のため、世のため、人のため、お客のため、取引先のため、従業員のために存在するのではないのか?と反問した。記者はデスクが求める答えが聞きたい。新聞の取材は、自分がされてみると分かるが、たいていの場合、新聞社の描く期待されるストーリーに沿って記事がをまとめられる。取材中の我々の発言は彼らのストーリーに都合の良い部分が強調されて記事になる。TVの生放送と違って読者は発言の真意までは分からない。これは概ねやむを得ない。あまりしつこくこんなことを問題にしていると嫌われて取材に来なくなるからだ。安崎 暁は一般的には、真意が正確に記事となるように話す努力はしていたが、この辺はさして問題にせず、取材は断らずに何でも意見を話すことにしていた。
例外は「会社は誰のものか」という問題だけだった。誰のものかという視点より、誰のために存在するのかという視点の方が大切だという発言に拘っていた。株価至上主義、市場万能主義にはどうしても賛成できなかったからだ。学生時代に読んだマクス・ヴェーバー(MAX WEVER)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をひもとくまでもなく倫理観のない利益至上主義では資本主義は成り立たない。コマツは私の時代以降も株主のほか、社会一般、地域社会、客先、取引先、授業員などすべてのステークホルダーのために経営するという小松ウェイの姿勢を貫いている。社会貢献は建前でやるのではなく、利益を稼ぎ、税金を払うだけでなく民間企業の存在そのものが社会に何らかの恩返しをするという当たり前のことなのだ。

聴衆の大半は初めは社会貢献とは、いま流行の建前で利益を稼ぎ税金を払い、株価を上げることが経営の本音だろうという顔をしていた。上記のような考え方を講演会で熱っぽく語ったため、半分ぐらいの人はなるほどと思ってくれたような反応を感じた。

与其追究公司是谁的,更重要的是应该追究公司是为谁而服务的

想来没人喜欢逢场便用大话空话忽悠百姓的政府,中国人挂在口头的“上有政策下有对策”这句话颇被老百姓待见,民众在说真心话时用这句话表达了其抵抗心理。

在宁波讲演会上为人注目的不是安崎晓围绕企业控管及社会贡献讲了场面话而是真心话。我针对公司是谁的这个问题阐述了自己的观点。在欧美日市场主义的世界里,公司被认为是股东的。公司的股票所有者在法律上是股东,这点无可置疑。经营者行为便被要求听令于股东。1995年我成为社长时,就时常被媒体问及,企业价值由股价反映,所以公司该是股东的吧?提问的记者虽说也有例外,不过多数都是追逐潮流、学习不够的年轻人。我对他们说,看问题除了站在法律角度,还需要站在伦理、社会角度。公司是为谁服务的?公司不是为国家、为世界、为人、为客人、为顾客、为员工而存在的吗?我如此反问,记者却只顾追究自己提问的答案。接受过报纸采访的人都知道,这类采访几乎都是沿着报社事先定好的、他们期待的线路进行、然后编写出报道。我们在被采访中的发言会被他们照着其预计线路按需取舍,将他们期待的部分放大、强调编写而成报道。这就不如电视现场直播了,会让读者领会不到发言者的真意。多数情况这是无可奈何之事,若被访者把问题放大、过于计较以后采访就不会再有了。安崎晓一般是力求他们尽量正确写出受访回答内容的真意,不过也不将其问题化,对任何采访都有问必答,畅所欲言。

不过也有例外,那便是针对“公司是谁的”这个提问。我坚持说,我们不该站在公司是谁的这个角度看问题,更紧要的是需要站在公司是为谁而存在这个角度去看问题。因为我无论如何也不能赞同股价至上主义、市场万能主义。我在学生時代读过马克斯·韦伯(MAX WEVER)著《新教伦理与资本主义精神》,确信只奉行没有伦理观的利益至上主义,资本主义是无法存活的。小松在我那个时代以及之后的时代都贯彻执行小松方式,那便是坚持经营的目的不仅包括为股东,还包括为一般社会、地域社会、顾客、客户、员工等所有的企业利害相关方。社会贡献不仅仅是说说场面话,也不仅仅是赚取利益、缴纳税金而已,而是需要民间企业在自身得以生存的同时,从自身健全某种反哺、报恩于社会的、理所当然的社会贡献机制。

从众多听众的表情看出,他们开始对社会贡献的理解就是现今流行、充斥于耳的赚钱缴纳税金、让股价上涨这些内容,认为这便是经营的真髓。但是在我上述发言后,能感受到大约半数听众反应良好,显出了幡然领悟的神情。


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