2017年12月23日土曜日

中国関連の仕事に就こうと決意(続き)~小松入社

9月に中国で出版された安崎会長の著作「夢を蒔く」(中国語版は、中国側出版社の主張により「机械巨人小松 无所畏惧的信念」という書名となっています)の内容をピックアップして掲載しています。
今日は前回「中国関連の仕事に就こうと決意」部分のの続きになります。

中国関連の仕事に就こうと決意(続き)~小松入社

1961年のコマツ入社は偶然の産物だった。大手町ビルにあった商社の先輩を訪ねた帰り、ビルの廊下を歩いていたら、大学の同級生に呼び止められた。「昼飯は食ったか?」「まだだよ」「それなら俺についてこい。ただ飯が食えるぞ」と言う。彼について行ったら、当時同じ大手町ビルに本社があったコマツに連れて行かれた。コマツで昼飯をごちそうになり、帰ろうとしたら、人事部の人に「これから面接するから、君も受けていかないか」と誘われた。「一宿一飯の恩義」と言うが、昼飯をごちそうになった義理もあるので、面接を受けることにした。「機械メーカーだから、中国にも関係あるな」と軽い気持ちで面接を受けた。
 集団面接では、日本経済の将来像について、試験官と議論になった。自分の勝手な反論意見を話したが、あまり感心されていないなと感じた。ところが、帰宅したら入社試験合格の電報が届いた。コマツのことはよく知らなかった。父は、「機械なら三菱はどうだ」と言った。コマツに入ることは、あまり賛成ではなかったようだったが、結局は「自分で決めろ」ということになった。私は、これも何かの縁だと感じ、その日のうちにコマツ入社を決心した。結果として、中国に惹かれて就職先を決めたのだ。
 学生時代、先生たちの思い出はたくさんある。ビンタを食らった先生にも恩義を感じたが、中学の校長先生は「お前はものになる」と励ましてくれた。英語の先生は「田舎の秀才で満足したらだめだ」と釘をさした。数学の先生は「カンニングはする方も悪いが、させる方がもっと悪い」と言った。教頭先生は何十年も経った後、地元の徳島新聞に私がコマツの社長に選任されたと報ずる記事を見て、連絡してこられた。先生は、一流の画家として活躍していた。「新聞に、お前がシベリアによく行くと書いてあった。自分はソ連に抑留されて辛い目にあったが、バイカル湖の近くにいた。思い出にバイカル湖をもう一度見てきた。そのときに描いた絵をあげるから受け取ってくれ」と話された。先生はもう亡くなられたが、このバイカル湖の絵は、毎朝ベッドの上から私を見つめている。
 小学校の先生は「腹が減っているだろうから、家に来い」と誘ってくれてカレーライスをご馳走になった。
 これらの先生方の励ましなくして、私の人生はなかった。東京の徳島県人会長になって、後輩の公立校の先生方を表彰するファンドを作り応援した。恩返しのつもりだった。
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 本博正在摘选分享9月在中国出版的安崎会长的著作《夢を蒔く》(中文版由于中国出版方的主张书名由《播种梦想》改为:《机械巨人小松 无所畏惧的信念》)里的内容。
 今天继上次,分享“决意从事与中国相关的工作”章节的后续部分。

决意从事与中国相关的工作

1961年进入小松是源自一个偶然的机会。有一天,我去大手町大楼拜访在那里一家商社工作的前辈之后出来、在大楼走廊上时,一位同学叫住了我。“吃过午饭没有?”“还没吃”“那跟我走吧。有个地方可以免费吃饭”。于是我就跟着他,他带着我去了当时本社也在大手町大楼里的小松公司。在小松吃过午饭,正想离开,人事部担当邀请我“现在开始面接,你也参加吧”。想起“一宿一饭”这句话、感觉应该报答这一顿午饭之恩,于是决定了去参加面接。“既是机械厂家,应该和中国有关系吧”,如此想着,很随意地参加了面接。
 在集体面接中,就日本经济的未来,我与面试官进行了讨论。我直率而随性地阐述了自己的反驳意见,不过觉得自己似乎并没能打动对方。但是意外的是,回家后就收到了电报,通知我的入社考试已经合格。当时对于小松,我并不了解。父亲也说:“要进机械公司的话,三菱如何?”。他似乎不怎么赞成我进入小松,不过最终还是让我自己决定。我感觉到了一种奇妙的缘分,当天就做出了进入小松的决定。就结果而言,是对中国的浓厚兴趣让我做出了这个决定。
 回顾学生时代,有关老师们的记忆极为丰富多彩。想起那位扇了我耳光的老师,现在亦是感恩戴德。中学的校长先生曾鼓励我“你一定会成为有用之才”。英语老师则警示我:“不要仅为成了个乡村秀才就沾沾自喜、骄傲自满”。数学老师说“考试作弊者是坏学生,纵容作弊者更坏”。过了几十年后,教导主任在德岛新闻上看到我被选任为小松总经理的报道后,与我取得了联系。这位老师作为一流画家,甚为活跃。他对我说:“看报纸上写你经常去西伯利亚。我曾被苏联拘留而吃尽了苦头,那时被扣在贝加尔湖附近。后来我重游旧地去过一次。我把那时做的一幅画送给你,收下吧”。这位老师已经故去,然而每天早上我一睁眼就能看到这副贝加尔湖画作,冥冥之中感觉到犹如他在床的上方凝视着我。
小学老师时而邀请我:“肚子饿了吧,来我家”,招待我吃咖喱饭。
 没有这些老师的激励,我的人生定不会如此丰满。饮水思源,在担任东京的徳岛县人会长时,我设立了基金以表彰后辈们就读的公立学校的老师们,用这种方式表达对老师们的感恩之情。

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