今日も「2.ハイブリッド経営のすすめ」の続きです。
2-4 国内外
野球は中国では、まだ大人気のスポーツではないが、最近、野茂英雄氏が日本の野球殿堂入りをしたと報ぜられた。彼は、1995年に米大リーグへ移り1年目に13勝、最多奪三振、新人王、日米通算201勝を達成した。イチロー、松井秀喜、ダルビッシュ、田中マ―君などが後に続くが、野茂投手はメジャーで成功したパイオニア、最初の日本人選手だった。野茂の活躍は、どこか日本企業がグローバル市場を苦労して開拓する姿に似ていた。彼は投手でアメリカ人のマイク・ピアザと言う人気スターが野茂を、捕手として支えてくれた。そこでコマツは当時日本国内のPRキャラクターとして、マイク・ピアザを起用し、日本人野球ファンを代表する形で野茂投手支援に感謝の気持ちを表した。
グローバル経済の時代、市場を国内だけでなく海外に求めることは、今や中小企業でも当然となったが、市場、技術、資金、M&Aなど国の内外を総合、融合する海外事業戦略は、ハイブリッド経営のまた一つの特徴である。1990年代成長戦略の一つとしてコマツはM&Aに焦点を合わせた。ドイツとアメリカの建設機械メーカ、ソフトウェア会社に出資、後に100%化し経営統合に成功した。当初赤字で苦戦したが、鉱山機械ビジネスの成功や、欧米建設機械市場での成功はこの国内外統合のM&Aが大きな力となったのである。失敗もある。シリコンウェハーの原料のポリシリコンメーカを特許紛争のもつれから、買収し暴騰暴落の業績の後損失を出して売却した。これらは、円高を活用した日本企業の第一次M&Aの動きの一つだったが、今日の日本企業第二次M&Aブームにつながっている。 技術も日本独自に、こり固まるより、世界に目を開く方が正解だろう。資金面でも日本の銀行が不調だった1990年後半我われの海外事業資金は邦銀のみに頼れなかった。海外投資家のためにIR活動や、欧米銀行との取引拡大にも注力した。経営陣の国内外融合も作戦の一つであった。(続き)
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今天适逢旧历新年,再次祝福大家马年吉祥如意!
接下来继续「2.有关混合型経営的薦言」这个话题。
2-4 国内外
棒球,在中国还未成为一项很有人气的运动,在日本却是另一番风景,最近报道称野茂英雄入选了日本的棒球名人榜(野球殿堂博物館)。他于1995年进入美国大联盟,第一年就获13胜,最多夺三振,新人王,在日美的棒球生涯中总共获得201胜。虽然其后还有鈴木一郎、松井秀喜、达比修 有(Darvish Yu),田中将大等选手,然而野茂投手却是率先在大联盟获得成功的第一个日本人选手。野茂的生龙活虎与在全球化市场开拓业务中辛勤奋斗的日本企业有点相似。他作为投手,而美国的人气棒球明星迈克-皮亚萨(Mike Piazza)作为接手支持他。因此,当时的小松起用迈克-皮亚萨作为日本国内的公司形象代理人,代表日本棒球粉丝们对他给与野茂投手的支持表示感谢。
在全球化经济时代,要开拓国内以及海外市场,如今包括中小企业都必须制定能让市场,技术,资金,企业并购等等国内外经营要素的综合以及融合得以实现的海外事业战略,这是混合型经营的又一个特征。在1990年代,作为成长战略之一,小松集中精力致力于企业并购,曾投资于德国和美国的建设机械厂家,软件公司,后来成功地实现了资本100%的经营统合。虽然最初曾因经营赤字举步维艰,但是之后的矿山机械事业以及欧美建设机械市场开发的成功让这些国内外统合中的经营统合也走上了成功之路。不过也有过失败,比如购买了一家卷入特许纷争的硅晶片的原料多晶硅制造厂家,之后在业绩的爆腾暴跌中受损,只好变卖处理了。上述是一些利用日元升值的日本企业的第一次并购行动,其影响持续波及到现今的日本企业第二次并购热潮。 再说技术,与其固步自封于“日本独自”的堡垒,不如走上放眼世界之正途。另外在资金面,在从日本的银行融资不顺的1990年代后期,我们并没有把海外事业吊死在日本国内的银行这颗树上,而是致力于面向海外投资家的IR活动以及与欧美银行的交易扩大业务。一言概之,经营阵在国内外的融合也是至关重要的作战之一。