今日は、前回に続き私の非公式経歴をお喋りしたいと思います。
コマツの社員になって最初の数年間は修行の時代。
自分のやりたい海外事業ではなく、工場、日本国内営業の仕事を担当した。
工場では、一円のコスト、真の品質管理を学んだ。
国内営業では、販売店との共存共栄をどう実現するか?時にお客の稼働現場で未来建機の姿はどうなるかをお客、技術者と議論していた。
1960年代後半、様々な自動化を研究するコマツの技術者がいた。21世紀に花開いた世界大規模鉱山でのICT,GPS利用の自動化鉱山機械化システムの萌芽はこの当時にあった。諦めずにしつこく夢を追いかけた技術者の勝利。
2010年、三一重工の会長がコマツの後を追いかけるのが自社の戦略だと語るのを知った。
私が1970年代の若手社員のころCAT(世界一のアメリカ建機メーカ)に対抗するコマツの戦略を語る上司にこう言ったら怒られた。”余計なことを考えると間違えるから、CATの後を追いかけて差をどう縮めるかだけに当分集中した方が良い”。
海外の仕事をやってきて失敗の経験は数知れず。成功はそのあとやり直した努力の結果かさもなくば、幸運のおかげだ。
後にいろいろ紹介しよう。
いくつかのメニューをあげておきたい。
1.1970年代アメリカ進出の大失敗。
2.ソ連シベリア寒冷地でのブルドーザテストの失敗と成果。
3.1973年、日中国交回復・平和条約締結時、中国でのコマツブル国産化提案。
人民服の中国技術者のハングリー精神に驚く。
4.1970年代産油国中近東での社員の苦闘。
5.アジアの販売サービス網づくり、学生時代の華僑研究が役にたつた。
6.アフリカ大鉱山への進出。
7.ヨーロッパとの貿易摩擦。
8.アメリカのダンピング提訴。M&A,米企業と合弁、その後の100%化。
9.海外現地法人。トップ人事の失敗と成功。
10.その他いろいろ。(続く)
------以下中国語-------
谢谢大家对我博文的关注和声援。
今天我将继续谈谈我的一些没有记入正式简历里的经历。
成为小松员工后,最初几年是我的修行时代。
当时让我担当的工作并非我希望的海外事业,而是工厂以及日本国内营业业务。
在工厂业务中,我从一日元的成本开始,学习了真正的品质管理。
在国内营业方面,公司该如何做才能实现与销售店的共存共荣?有时还站在顾客的立场上思考建设机械行业的未来,这些问题我也与顾客和技术者们进行了讨论。
1960年代后期,小松荟萃了从事于五花八门自动化研究的技术人员。21世纪世界各地大规模矿山利用ICT,GPS 而让矿山机械自动化系统开花结果,其萌芽则可以追溯到那个时代。这是不言放弃,苦苦追求梦想的技术人员们的胜利。
2010年,我得知三一重工的会长制定了以奋勇追赶小松为目标的战略决策。这让我想起了在1970年代,还是年轻员工的我,对于做出了与CAT(美国的卡特彼勒,世界第一建设机械厂家)一争高下的战略决策的上司说:制定超乎实际的目标会走错路的,我觉得目前我们还是追赶CAT以缩小差距为好吧。不过当时我这话却激怒了上司。
后来在海外业务方面,我经历了不知多少次的失败。成功则是跌倒后爬起来不懈努力的结果,也或许是幸运之星所赐。
以后会继续介绍。
先列出几个话题。
1.1970年代进出美国的大失败。
2.在苏联西伯利亚寒冷地区试验推土机的失败以及成果。
3.1973年,中日恢复外交关系・和平条约缔结时,提议在中国实行小松推土机的
现地国产化。身穿人民服的中国技术者对先进知识技术的渴求精神震撼了我。
4.1970年代员工们在中近东产油国的艰苦奋斗。
5.建立亚洲销售服务网,学生时代进行的华侨研究起到了作用。
6.进出非洲大矿山。
7.和欧洲的贸易摩擦。
8.美国的倾销提诉。M&A,与美国企业的合并以及其后的资本100%化。
9.海外现地法人。管理层人事的失败与成功。
10.其他等等。(续)
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