2017年7月9日日曜日

祖父の漢詩が、中国へ誘った~「夢を蒔く」からの抜粋

  前回のブログに、若頃の安崎先生が中国官僚との「雨降って地固まる」体験談を載せました。

  商談が喧嘩まで発展し双方の絆が壊される可能性が高いので決して良いことではない。しかし、当時、きっと中国の近代化に貢献したいと、コマツ製品の中国での国産化を提案した安崎先生の善意と燃えるような熱意が充分に伝わったので、コマツと中国側との絆を壊すことなく、逆に深めた良い喧嘩でした。

  ところで、その善意と熱意はどこから生まれ、燃えそうになったのか?この新書で探ってみたら、「子供時代から抱いていた中国への興味」という章節に辿り着いた。著者の同意を頂いて少しピックアップして掲載しましょう。

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祖父の漢詩が、中国へ誘った


by 土屋康太郎-11 years old-Mr. Anzaki's grandson

  私の中国への関心の扉を開いてくれたのは、母方の祖父だった。この祖父は、四国徳島の藩主だった蜂須賀家の末裔で、名を蜂須賀喜信といい、明治、大正時代の陸軍軍人であった。軍人であったが、剛直というより、むしろ文人の風格があり、書、画をよくした。彼の娘である我が母も、年を取ってからよく絵を描いていた。本書の挿絵を描いた土屋康太郎は私の11歳の孫で、現在小学校6年生。本人は、ごく普通の子供だが、絵の才能はあり、日本でも、また一時居住していたアメリカの小学校でも、この才能は評価されていた。私には、祖父の才能は遺伝していないので、孫の一人が、祖父の血筋を受け継いだようだ。

  この祖父が、私が中学生のころ、よく漢詩や論語の一節を読み聞かせてくれていた。内容をはっきり理解したわけではなかったが、杜甫、李白、白楽天などの詩は耳に心地よく響いていたことを記憶している。子供心にも訴えかける「何か」があったのだと思う。

  その次は、三国志である。吉川英治が易しく書いた『三国志』ではなく、難易度の高い『三国志演義』の翻訳書を読んだ。中学生にはとても難しかったが、知り合いの本屋で立ち読みを繰り返した。次第に内容に惹かれ、毎日の本屋通いを続けた。ついには、本屋の主人が、「この椅子に座りなさい」と言ってくれるほど、この物語に興味を持った。  この後、やはり翻訳書ではあるが、社会人になった後も、多くの作家の『三国志』を読み漁った。諸葛孔明のすごさにも惹かれたが、曹操が一番好きな登場人物だった...

-----------以下中国語-----------


  上篇博文里,分享了年轻时安崎先生与中国官僚之间“不打不相交”的体验之谈。

  谈判发展到吵架绝对不是件好事,因极有可能让双方关系破裂。然而,当时一定是安崎先生让中方充分感受到他期望对中国近代化建设做出贡献而提出小松产品在中国国产化建议的善意以及近乎燃点的热情,使得小松与中方的关系不仅没被破坏,而是加深了,可说是一场良性的吵架。

  不过,如此善意和热情是如何产生、又是如何高涨近乎沸点的呢?求问这本新书,在“萌芽于孩提时代的中国情结”这一章里我似乎找到了其源头。获得作者同意,摘选一部分内容,分享如下。


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外祖父的汉诗,诱发了我对中国的兴趣


  最初启发我、使我开始对中国产生兴趣的是外祖父。外祖父是四国德岛蜂須贺藩的后裔,名叫蜂須贺喜信,是跨明治、大正时代的陆军军人。他虽身为军人,然而与其说刚强,不如说更具有文人之风格,喜欢书画、舞文弄墨。他的女儿既我的母亲,上了年纪后也经常作画。本书里插图的作者土屋康太郎是我11岁的孙子,现在是小学6年级学生。他是一个普通的孩子,却有绘画天赋,不仅在日本、而且在曾经生活过的美国的小学都获得了好评。看来,外祖父的才能没有遗传给我,却隔代遗传给了我的一个孙子。

  我这位外祖父,在我中学时代,经常让我听他阅读汉诗和论语。我虽然并不太明白内容,然而杜甫、李白、白乐天的诗还是听得津津有味。我想,诗句里或许有一种能拨动儿童心灵的神奇力量吧。

  接着我还读了三国志。读的不是吉川英治改编的三国演义,而是难易度比较高的三国演义的翻译版。对于中学生来说,这书读起来难度极大,不过我经常去熟人的书店站着反复阅读。渐渐地被书的内容吸引,竟然每天必去阅读。兴趣越来越大,对我见惯不惯的书店主人也不由招呼我:“坐这把椅子”。 这以后,在进入社会后,我也不停地收罗出自于许多作家笔下的各种各样三国志翻译版本读了个遍。虽然诸葛亮的非凡让我叹服不已,然而在所有登场人物之中,我最喜欢的却是曹操......

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